■引用原文(日本語訳)
聖バガヴァットは告げた。
「この身体における最高のプルシャは、
近くで見る者、承認者、支持者、享受者、偉大な主、最高の自己と言われる。」
(『バガヴァッド・ギーター』第13章 第22節)
■逐語訳
この身体(個人存在)の中に宿る「至高のプルシャ(意識存在)」は、
すべてを近くで見つめる観察者であり、
行為を認める承認者であり、
存在を保つ支え手であり、
経験を味わう享受者であり、
宇宙全体を統べる偉大な主(イーシュヴァラ)であり、
そして真の自己(パラマートマン)であるとされている。
■用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
この身体における(イマム・デーハム・アシュリト) | 肉体・個人の存在の内側に宿っているという意味。 |
最高のプルシャ(プルシャ・ウッタマ) | 至高の魂。真の自己。神我とも訳される絶対意識。 |
見る者(ウパドラーシュター) | すべてを近くで観察する観照者としての意識。 |
承認者(アヌマーンター) | 行為を可能にする“許可”の源。カルマの働きの背後にある黙認者。 |
支持者(バルタ) | 肉体・精神・生命活動を支える力。 |
享受者(ボクター) | 経験の主体。喜びも悲しみも味わう“魂”の側面。 |
偉大な主(マヘーシュヴァラ) | 宇宙を司る至高の存在(神・イーシュヴァラ)。 |
最高の自己(パラマートマン) | 分離された自己(アートマン)を超えた、普遍的・絶対的な自己。 |
■全体の現代語訳(まとめ)
クリシュナは、人間の身体という限定された器の中にさえ、
すべてを見つめ、認め、支え、体験し、統べる「最高の存在=真の自己」が宿っていると説いている。
それは単なる“自我”ではなく、宇宙と個人を貫く「神聖なる観照意識」である。
■解釈と現代的意義
この節は、「真の自己(本質)」は肉体でも思考でもなく、
それらを静かに見つめ、支持し、受け入れている存在であるという深い気づきを促します。
またその存在は“神”とも言えるほどに偉大でありながら、私たちの「最も近く」に常に在るという霊的真理を示しています。
それは「自分の中の神性」を発見する道でもあります。
■ビジネスにおける解釈と適用
視点 | 解釈と応用例 |
---|---|
自己認識の深化 | 「思考している自分」とは別に、「それを見ている自分」がいることに気づけば、より俯瞰的で冷静な判断ができる。 |
セルフマネジメント | 内なる観察者=真の自己とのつながりを意識することで、感情に飲まれず、軸を保った行動が可能になる。 |
リーダーシップ | 真のリーダーは、部下や状況を「支え・見守り・許可し・導く」存在として在る。これは至高プルシャの働きに近い。 |
倫理と信頼 | 自己の中に「すべてを見ている存在」がいると意識すれば、高い倫理観と誠実な態度が自然に生まれる。 |
■心得まとめ
「内なる神性を知る者は、外に振り回されない」
『バガヴァッド・ギーター』は、すべての人の中に「見る者」「支える者」「味わう者」としての“最高の自己”が宿っていると説きます。
その存在に気づけば、自分の行動・選択・感情をより深い視点で見つめ直すことができるようになります。
外側の喧騒に飲まれることなく、内なる静けさと光明に根ざして生きる――それが、真に自由で成熟した生き方なのです。
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