一度出た言葉は戻せない、だからこそ沈黙に徳が宿る
孔子の弟子・南容(なんよう)は、いつも詩経の一節――「白圭(はくけい)」の詩を口ずさんでいた。
そこにはこう詠われている。「玉なら欠けても磨き直せるが、人の言葉は一度口にすれば、取り返しがつかない」。
南容はこの詩の意味を深く理解していた。だからこそ何度も繰り返し唱え、言葉の重みを日々自らに戒めていたのだ。
孔子はその姿を見て、彼の慎み深さに心から信頼を寄せた。
そして、自分の兄の娘を彼に嫁がせた――言葉を大切にする人は、他人の人生すら安心して託せる、という孔子の判断である。
言葉を制することは、感情を制すること。
そして、それは人との信頼関係を築く土台でもある。
引用(ふりがな付き)
南容(なんよう)、三(み)たび白圭(はくけい)を復(ふく)す。
孔子(こうし)、其(そ)の兄(けい)の子(こ)を以(も)って之(これ)に妻(めあ)わす。
注釈
- 南容(なんよう):孔子の弟子。温厚で慎み深く、特に言葉を大切にした人物とされる。
- 白圭(はくけい):『詩経』の「大雅・抑篇」にある詩。内容は「玉は欠けても磨き直せるが、口にした言葉は取り返しがつかない」といった戒め。
- 復す(ふくす):繰り返し唱えること。
- 妻わす(めあわす):結婚させる、嫁にやるという意味。
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