――本心が行動に表れていなければ、言葉は信じられない
孔子は、魯(ろ)の大夫である**臧武仲(ぞうぶちゅう)**のある行動について、疑問を投げかけた。
臧武仲は、他の大夫のざん言によって罪を問われ、自らの領地「防(ぼう)」から退いていたが、
後に復帰して、自分の後継者を魯の君主に立てるよう求めた。
このとき、表向きは「強要ではなく、ただお願いしただけ」という態度を見せていた。
しかし、孔子はこう語る。
「“要(もと)めたのではない”と言ってはいるが、私はその言葉を信じることはできない。」
つまり孔子は、その姿勢に見え隠れする“圧力”や“強引さ”を見抜いていたのである。
この言葉は、言葉と行動が一致しないことの不誠実さ、
そして控えめな言い方であっても、実際の態度が押しつけがましければ信頼されないという、
言行一致の大切さを強く示している。
原文とふりがな付き引用:
「子(し)曰(いわ)く、
臧武仲(ぞうぶちゅう)は防(ぼう)を以(もっ)て後(こう)を為(な)すことを魯(ろ)に求(もと)めたり。
君(きみ)を要(もと)めずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は信(しん)ぜざるなり。」
注釈:
- 臧武仲(ぞうぶちゅう) … 魯の知恵者で、過去には評価された人物(345話参照)だが、政治的な策謀には限界があった。
- 防(ぼう) … 臧武仲の領地。ここから引退し、また戻ってきた背景には権力への未練がある。
- 後(こう)を為す … 後継者を立てること。
- 要(もと)めず … 要求・強制していないという表向きの姿勢。
- 信ぜざるなり … 表の言葉と裏の態度が違うため、孔子は信を置いていない。
教訓:
この章句は、誠実さとは“言葉づかい”ではなく、“言行の一致”に宿るということを教えてくれます。
本当に控えめであるなら、行動もまた控えめであるはず。
言葉が柔らかくても、行動が強ければそれは押しつけであり、信は得られない。
孔子は、人の言葉だけではなく、その背後にある意図と態度にこそ目を向ける重要さを説いています。
1. 原文
子曰、臧武仲以防求爲後於魯。雖曰不君、吾不信也。
2. 書き下し文
子(し)曰(いわ)く、臧武仲(ぞうぶちゅう)は防(ぼう)を以(もっ)て後(こう)を為(な)すことを魯(ろ)に求めたり。君(きみ)を要(もと)めずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は信(しん)ぜざるなり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
「子曰く、臧武仲は防を以て後を為すことを魯に求めたり」
→ 孔子は言った。「臧武仲は、防という地を自分の家の世襲領地とすることを魯国に願い出た。」
「君を要せずと曰うと雖も、吾は信ぜざるなり」
→ 「彼が『君主の地位を求めたのではない』と言ったとしても、私はそれを信じない。」
4. 用語解説
- 臧武仲(ぞうぶちゅう):魯国の大夫(高位の家臣)。知略に優れた人物として知られているが、孔子は倫理面で批判的。
- 防(ぼう):魯国の一地名。封邑(領地)であり、ここでは“家の後継ぎの土地”として扱われる。
- 後(こう)を為す:家の跡継ぎとして土地を保有すること、あるいは家名を継ぐこと。
- 君(きみ)を要(もと)めず:君主になろうとはしていない。
- 吾は信ぜざるなり:私は信じない。孔子による疑念・批判の意。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孔子はこう言った:
「臧武仲は、防という土地を、自分の家の世襲地として魯に願い出た。
彼は『私は君主になろうとしたわけではない』と言っているが、私はその言葉を信じない。」
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「権力への執着を否定しながら、実はそれに近い行動を取る者」**への孔子の批判です。
- 臧武仲は表向き「君主になりたいわけではない」と謙遜しているが、
- 実際には領地(防)を“後”として確保しようとし、私的権力基盤の形成を図っている。
- 孔子はそれを見抜き、**「言葉ではなく行動を見て判断すべき」**という厳しい倫理眼を示しています。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
✅「“私は権力を望まない”という人こそ要注意」
- 表面上は謙虚に振る舞いながら、裏でポジション・影響力を確保しようとする人物は、組織内にも存在する。
- 言葉ではなく、“何を得ようとしているか”という行動の意図を見極めることが重要。
✅「ポジション取得の意図は、周囲は見抜いている」
- 昇進や権限にこだわっていないように装っても、**実際の動き(権限の囲い込み・人脈操作など)**から本心は見える。
- 孔子は、リーダーや上位者に真の無私・誠実さを求めていた。
✅「公的な言動と私的な欲望にズレがあると、信頼を失う」
- 表向き「会社のため」と言いながら、実は自己保身の行動である場合、
組織の信頼感や一体感は損なわれる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「言葉より行動、意図を見抜け──“無欲のふり”が最も危うい」
この章句は、孔子が**“誠実と偽善の境界”を鋭く見極めていたこと**を象徴する一節です。
現代においても、謙虚な言葉と裏腹の権力志向が信頼を損なうことを警告してくれます。
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