孟子は、斉の王に見切りをつけて斉を去る決意をし、途中の昼(ちゅう)という村に宿泊していた。
そこへ、孟子の去国を止めようとする者が現れた。彼は孟子のもとに赴き、熱心に話し始める。だが孟子は返答せず、脇息(きょうそく)にもたれて寝たふりをしていた。
すると、面白くないその客は抗議する。
「私は身を清め、心を整えてここに来たのです。
それなのに、先生は寝たふりをして私の話を聞いてくださらない。
もう二度とお目にかかりません」
この言葉に対して、孟子はようやく静かに口を開く。
孟子の反論──ただ口で言うだけでは、何の説得力もない
孟子は、まず静かに「座れ」と言って話し始める。
「かつて、魯の繆公(ぼくこう)は孔子の孫・子思(しし)を尊敬した。
彼は子思を安心させるために、そばに誠意を伝える人間を常に置いた。
それほどまでして、子思を引き留めようとしたのだ。
また、**泄柳(せつりゅう)と申詳(しんしょう)**という人物は、繆公のもとに留まるにあたって、
自分たちの誠意を伝える人を王のそばに置かなければ安心して仕えられなかったという。
それに比べてあなたは、ただ一度ここに来て、話をしているだけだ。
それが本当にこの年寄り(=孟子)を引き留めようとする誠意と言えるだろうか?」
孟子はここで問いかける。
「あなたは、私があなたとの縁を切ったと言うが、
むしろ、誠意を尽くす努力もせずに、あなたのほうから私との縁を絶ったのではないか?」
この言葉は、口先だけで関係を繋ごうとする姿勢に対する厳しい批判であり、
孟子が何よりも「行動」「覚悟」「誠意の持続性」を重んじる思想を鮮やかに表している。
志ある者を引き止めるには、相応の“働きかけ”が必要
孟子が語る事例には、明確な共通点がある:
- 君主である繆公は、「口で招くだけ」ではなく、人を置いて誠意を絶えず示した
- 賢者たちもまた、自らが安心できる体制がなければ仕えようとしなかった
つまり、志ある者を引き留めるには、礼を尽くし、環境を整え、誠意を持って日々対話を続けることが必要だということ。
孟子はそれを踏まえ、「その程度の働きかけで人の志を動かせると思うな」と語っているのである。
この章は、孟子が「言葉より行動を重んじる」思想を実践によって体現した名場面です。
本気で人の心を動かすには、誠意と努力を尽くし、相応の態度をもって示さなければならない――それが孟子の言いたかった、古の君子の生き方なのです。
原文
孟子去齊,宿於晝。
有欲為王留行者,坐而言,不應,隱几而臥。
客不悅曰:「弟子齋宿而後敢言,夫子臥而不聽,請勿復敢見矣。」
曰:「坐。
我明語子:昔者,魯繆公無人乎子思之側,則不能安子思。
泄柳・申詳,無人乎繆公之側,則不能安其身。
子為長者慮而不及子思,子絕長者乎?長者絕子乎?」
書き下し文
孟子、斉を去り、昼(ちゅう)に宿す。
王のために留まらせようとする者あり。坐して言うも、孟子は応ぜず、几(き)に凭(よ)りて臥す。客悦ばずして曰く、
「弟子は齋戒して宿り、しかる後に言を発するを敢えてしたというのに、
夫子は臥して聴かず。お願いだから、もうお目にかかることを致しません。」孟子曰く:
「坐れ。我、明らかに子に語げん。昔、魯の繆公、子思の側に人無ければ、子思を安んずること能わず。
泄柳・申詳は、繆公の側に人無ければ、己を安んずること能わず。子よ、長者のためを思うというのに、子思のようには及ばぬのか。
そもそも、子が長者を断ったのか、長者が子を断ったのか。」
現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 孟子は斉の国を去り、昼(ちゅう)という場所に泊まった。
- ある人物が王のために孟子を引き留めようとやって来て、語りかけたが、孟子は返答せず、肘掛けに身を預けて横になった。
- その客は不満そうに言った:
「私は先生にお会いするために、身を清め、泊まり込み、慎んで準備をしてきたのに、
先生は話も聞かずに寝てしまった。これではもうお目にかかることはいたしません。」 - すると孟子はこう言った:
「座りなさい。あなたに説明しよう。
昔、魯の繆公は、子思の側近に信頼できる人がいなかったため、子思を落ち着かせられなかった。
逆に、泄柳や申詳は、繆公の側に信頼のある人物がいなければ、自分の身を守ることすらできなかった。
あなたは王のことを思いやると言いながら、子思のようには振る舞えなかった。
そもそもあなたが王との関係を絶ったのか、それとも王があなたを見捨てたのか?」
用語解説
- 昼(ちゅう):地名。孟子が斉を離れた後に宿泊した場所。
- 几(き):肘掛けや小机。ここでは「身を預ける」道具。
- 斎宿(さいしゅく):心身を清め、慎みを持って行動すること。儒者が礼儀として重視する態度。
- 魯の繆公(むこう):春秋時代の魯の君主。
- 子思(しし):孔子の孫で、儒学の継承者の一人。
- 泄柳(えつりゅう)・申詳(しんしょう):繆公の臣下で、政治的役割を担った人物とされる。
- 長者:ここでは「王」や主君を意味する尊称。
全体の現代語訳(まとめ)
孟子は斉を去って途中の地に宿を取った。そこに、王の側近と思われる人物がやって来て、孟子の帰国を思い留まらせようと語りかけたが、孟子は返答もせず横になってしまう。
これに怒った客が「礼を尽くしたのに無礼ではないか」と批判すると、孟子はこう返した:
「君主と賢者の関係には、お互いを支える環境と人間関係が重要だ。かつての魯の君主も、子思を支える人材がいなければ、その徳を生かせなかった。
同じように、君主を支えようとする側近も、君主に信頼されなければ自身の安全すら保てない。
あなたは“王のためを思っている”と言うが、それが本物なら、もっと誠意を示し、子思のように身をもって説得すべきだった。
いま王との関係が断たれているのは、あなたが見限ったのか、それとも王に見限られたのか──それをよく考えなさい。」
解釈と現代的意義
この章句は、**「志ある者(賢者)と権力者の距離感」**をテーマとしています。
孟子は単に礼儀に怒る客人をたしなめるのではなく、
本気で王を動かしたいならば、自分の責任と覚悟を持って関わるべきだと説きます。
- 志ある者が政治に関与する際には、「ただ意見を言う」だけでなく、
その言が生きる環境と支援体制がなければ実現できないことを痛感させる章です。
また、孟子の「答えぬ姿勢」にも意味があります。
それは、表面的な礼よりも、対話に値する誠実さ・力量の有無を見極めていたとも言えます。
ビジネスにおける解釈と適用
「“提案だけして終わり”では人は動かない」
- 経営者やリーダーに意見を伝えるとき、
その提案を実現する環境や支援体制をどうつくるかまで責任を持つべき。
「現場の信頼なしに、リーダーもブレる」
- 上司(=繆公)や経営陣の“意思決定”は、
周囲にいる人材のあり方によって安定したり不安定になったりする。
「忠誠とは、距離を取らず誠実に仕えること」
- 批判だけするのでもなく、忖度だけでもなく、
本当に支えたいならば、“言って終わり”でなく“支える覚悟”を持て。
まとめ
「見限る前に支えよ──“仕える覚悟”が真の忠誠を生む」
この章句は、単なる礼儀や形式を超えて、
“関係性の構築”における信と責任、覚悟の意味を孟子が示した重要な場面です。
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