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智ある者は、死を超えてなお迷わぬ


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📖 原文引用(日本語訳)

かれは束縛の絆が消え失せて、慢心もなくなり、煩悩のさまたげもなく、身体が壊れて死んだあとでも明らかな知慧をたもち、ときほごされて、(迷える人の)部類に入らない。
――『ダンマパダ』第六章「戒しめ」第十節


📝 逐語訳

  • その人は、執着や依存という束縛の鎖を断ち切り
  • 自我の高ぶり(慢心)も消えて、
  • 欲望や怒りなどの煩悩の妨げを乗り越え、
  • 肉体が滅びた後ですら、明晰な智慧を保ち、
  • 解放されている(ときほごされており)
  • 輪廻に迷う衆生の仲間にはもはや属さない。

🧩 用語解説

  • 束縛の絆(サンヨジャナ):煩悩・執着・自己への執着による精神的な鎖。
  • 慢心(マーナ):優越感・高慢・自己正当化の心。悟りの妨げ。
  • 煩悩(クレーシャ):貪り、怒り、無知など、人を惑わせ苦しませる心の働き。
  • 明らかな知慧(パンニャー):解脱後も保たれる真理の知覚力。もはや揺るがない智慧。
  • ときほごされて(解脱):束縛から完全に自由になった状態。
  • 迷える人の部類(凡夫):煩悩や無明にとらわれ、輪廻の中をさまよう存在。

🪞 全体現代語訳(まとめ)

この句は、究極の解脱を果たした者の姿を描いています。
彼は、人生におけるあらゆる執着や慢心、煩悩の影響を断ち、死後にすら真理を見失うことなく、もはや輪廻に迷うことがない。それは、人格と知恵が完全に熟成された存在――仏陀や聖者の境地を意味します。


🌏 解釈と現代的意義

この句は、一見すると死後の教えのように読めますが、本質は“生きているうちにどれだけ心を解放できるか”という問いにあります。
執着・慢心・怒り・欲望に縛られずに生きることができれば、死さえも怖れることはない、という生の哲学が語られています。

現代では、自己肯定感や成果主義の裏で、慢心や競争心、他者比較に苦しむ人が多いですが、心の鎖を断つことでしか本当の自由と安らぎは得られないという、深い真理がここにあります。


💼 ビジネスにおける解釈と応用

観点実践例
エゴの解放地位や実績への執着を手放すことで、より広く高い視座で物事を判断できる。
冷静な意思決定煩悩(怒り・欲・不安)に影響されずに判断できるリーダーが、組織を安定させる。
謙虚なリーダーシップ慢心せず、学び続ける姿勢を持つ上司は、信頼を集める。
死を恐れないキャリア観終わりを前提に生きるからこそ、今を誠実に、後悔なく使えるようになる。

🧠 心得まとめ

「執着と慢心を脱したとき、人は真に自由となり、迷いから解き放たれる」

束縛されることなく、慢心することなく、煩悩に流されることなく――
智慧と誠実さに生きる人間は、死さえ超えて迷うことがない。
この教えは、宗教的な救済を超えて、現代における「本当に自由な生き方」の核心を突いています。

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