陳の国の司法長官・司敗が孔子に尋ねた――
「あなたの主君である魯の昭公は、礼を知っていたのですか?」
孔子は「知っていた」とだけ答え、その場を去った。
その後、司敗は孔子の弟子・巫馬期に対して、昭公が実は礼に反する結婚をしていたことを指摘し、孔子の発言を批判する。
巫馬期がこのことを孔子に伝えると、孔子は穏やかに言った――
「私は幸せ者だ。私が誤っていれば、誰かがこうして教えてくれるのだから」と。
孔子はここで反論せず、皮肉にもならず、淡々と感謝をもって受け止めるという態度を示している。
これは、場の空気や関係性、語るべきとき・黙すべきときを見極める、高度な知恵と謙虚さの表れである。
必ずしも正しさを主張することだけが知者の行動ではない。沈黙と柔らかい受け入れもまた、人格の一部である。
原文・ふりがな付き引用(一部要約含む)
陳(ちん)の司敗(しはい)、問(と)う、「昭公(しょうこう)は礼(れい)を知(し)るか」。
孔子(こうし)曰(い)わく、「礼を知る」。孔子、退(しりぞ)く。
巫馬期(ふばき)に揖(ゆう)して、之(これ)を進(すす)めて曰(い)わく、
「吾(われ)聞(き)く、君子(くんし)は党(とう)せず、と。君子も亦(また)党するか。
君は呉(ご)より取り、同姓たり。之を呉孟子(ごもうし)と謂(い)えり。君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん」。
巫馬期、以(もっ)て告(つ)ぐ。
子(し)曰(い)わく、「丘(きゅう)や幸(さいわ)いなり。苟(いやし)くも過(あやま)ち有(あ)れば、人必(かなら)ず之を知(し)る」。
注釈
- 昭公(しょうこう) … 魯の君主。礼に反する婚姻を行ったと批判された。
- 呉孟子(ごもうし) … 同姓でありながら婚姻し、その事実を「孟子」と名乗って偽装したとされる。
- 党せず … 私情や偏見で人をひいきしない、君子の基本姿勢。
- 孔子の反応 … 弟子にこうした批判が伝えられたにもかかわらず、反論せず「教えてくれてありがたい」と受け止める。
- 丘や幸なり … 「私は幸せだ」。間違いがあれば、誰かがそれを知らせてくれる、という謙虚さ。
1. 原文
陳司敗問、昭知禮乎。孔子曰、知禮。孔子退、揖巫馬期而進之曰、吾聞君子不黨、君子亦黨乎。君取於呉、爲同姓、謂之呉孟子。君而知禮、孰不知禮。巫馬期以告。子曰、丘也幸、苟有過、人必知之。
2. 書き下し文
陳の司敗(しはい)問(と)う、昭(しょう)公は礼(れい)を知るかと。孔子(こうし)曰(い)わく、礼を知る。
孔子、退(しりぞ)く。巫馬期(ふばき)に揖(ゆう)して之を進(すす)めて曰(い)わく、
「吾(われ)聞(き)く、君子(くんし)は党(とう)せず、と。君子も亦(また)党するか。
君(きみ)、呉(ご)より取りて、同姓(どうせい)と為(な)し、之を呉孟子(ごもうし)と謂(い)えり。
君にして礼を知らば、孰(たれ)か礼を知らざらん。」
巫馬期、以(もっ)て告(つ)ぐ。
子(し)曰(い)わく、丘(きゅう)や幸(さいわ)いなり。苟(いやしく)も過(あやま)ち有(あ)れば、人必(かなら)ず之(これ)を知(し)る。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)
- 「陳の司敗、昭公は礼を知るかと問う」
→ 陳の国の大臣が「魯の昭公は礼を理解しているのか」と孔子に尋ねた。 - 「孔子曰く、知る」
→ 孔子は「はい、知っています」と答えた。 - 「孔子退く」
→ 孔子はその場を去る。 - 「巫馬期に揖して進めて曰く…」
→ 孔子は弟子の巫馬期に挨拶し、進み出させて言った: - 「君子は党せず、君子も亦た党するか」
→ 「私は君子は派閥をつくらないと聞いているが、君子も党を組むのか?」 - 「君、呉より取りて同姓と為し、之を呉孟子と謂えり」
→ 「君主(昭公)は呉から人を連れてきて、自分と同じ姓であるとして“呉孟子”と呼んで取り立てた。」 - 「君にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん」
→ 「もしその君が礼を知っているというなら、誰が礼を知らないと言えるのか?」 - 「巫馬期、以て告ぐ」
→ 巫馬期はこの話を孔子に報告した。 - 「子曰く、丘や幸いなり。苟くも過ち有れば、人必ず之を知る」
→ 孔子は言った:「私は本当に幸運だ。もし私に過ちがあれば、誰かが必ずそれを知らせてくれる。」
4. 用語解説
- 陳の司敗(しはい):陳国の司法官。ここでは諸侯に仕える高官の一人。
- 昭公(しょうこう):孔子が仕えた魯国の君主。政治的に礼を無視する行為が多かったとされる。
- 党(とう)する:派閥を組む、えこひいきする。公平を欠く態度。
- 呉孟子:呉から迎えた人物で、昭公が同族と称して重用した者。礼に反する人事とされた。
- 巫馬期(ふばき):孔子の弟子。忠実に事実を報告する役割を果たす。
- 苟(いやしく)も〜ば:もし仮にも〜ならば。
- 過(あやまち):過失、誤り。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
陳の高官が、魯の昭公は礼を知っているかと孔子に尋ねた。
孔子は「知っている」とだけ答えてその場を去った。
その後、孔子は弟子の巫馬期に「君子は党派を作らないものだが、昭公は呉から人を連れてきて同姓とし“呉孟子”と称して厚遇している。
このような人事をしておいて“礼を知っている”と言えるのか?」と問いかけた。
巫馬期がこの話を人に伝えると、孔子は言った:
「私は幸運なことに、もし過ちがあれば、必ず誰かがそれを知らせてくれる。」
6. 解釈と現代的意義
この章句では、孔子の対外的な慎重さと、内面的な率直さが描かれています。
- 表向きには君主を批判せず、礼を守る発言をする(外に対する配慮)
- 内面では弟子に対して、事実と自らの違和感を語り、理非を明確に教える
- さらに、弟子が自分の言動を人に伝えることを**「幸い」と喜ぶ謙虚さと透明性**
これは、孔子の**「教養と誠実の両立」**を象徴する章句であり、
言論の節度・組織内教育・自己開示のバランスを体現しています。
7. ビジネスにおける解釈と適用
■「外に対しては慎重、内に対しては真摯」
──顧客・上司には敬意を持って接しつつ、内部では真実を語り、行動の是非を教えるリーダーシップ。
■「派閥やえこひいきを排し、公正を貫け」
──人事・評価において、個人的な好みに流されず、道理にかなった判断を下すことが組織の信頼を生む。
■「意見されることを歓迎できるリーダーこそ信頼される」
──“誤りを教えてくれる存在”に感謝できるリーダーが、長期的に周囲の信頼を集める。
■「情報の透明性が組織を健全にする」
──言いにくいことを伝える文化、誤りを指摘できる風通しの良さが、組織を強くする。
8. ビジネス用心得タイトル
「誠実に語り、耳を傾ける──“正しくあろうとする姿勢”が信頼をつくる」
この章句は、倫理的なリーダーシップ、組織文化の健全性、人事判断の公正さを学ぶ上で極めて重要です。
コメント