貞観十九年、太宗は自ら高句麗を討つため、親征を決意した。
そのとき重臣・尉遅敬徳は、進言を上げて諫めた。
「陛下が遼東へ出征されれば、皇太子が定州で政務を預かり、都の長安や洛陽、国の倉庫が手薄になります。
遼東は遠方であり、かつて隋の煬帝が同様に出征した際には、楊玄感が反乱を起こした前例があります。
また、高句麗のような小国を討つために陛下ご自身が動くのは労多く、たとえ勝っても誉れは少なく、
もし敗れれば、それは唐の威信を損ない、天下の笑いものになりかねません。
ここはどうか、信頼のおける将軍に任せてください。彼らであれば、速やかに平定することができるでしょう」
太宗はこの諫言に従わず、親征を強行した。
だが、当時の多くの識者たちは、尉遅敬徳の意見が正しかったと見ていた。
国家を背負う帝の一挙手一投足は、勝ち負け以上の重みをもつ。
主が留守となれば、城の中は空虚となり、国の根幹は脆くなる。
武を誇るために動くのではなく、国を護るために退く――それが本当の強さである。
■引用(ふりがな付き)
「邊隅(へんぐう)の小国(しょうこく)、親(みずか)ら万乗(ばんじょう)を労(ろう)するに足(た)らず。克(か)つとも武(ぶ)と為(な)すに足らず。儻(たと)い克(か)たずんば、反(かえ)って笑(わら)いを為(な)す」
■注釈
- 親征(しんせい):皇帝自ら軍を率いて戦に赴くこと。重い決断を要する。
- 楊玄感(ようげんかん):隋の煬帝による高句麗遠征時に反乱を起こした重臣。唐がこの歴史を深く教訓としていた。
- 万乗(ばんじょう):皇帝の乗る車の意。転じて「皇帝」そのものを指す。
- 識者(しきしゃ):情勢や道理に通じた見識ある人々。ここでは朝廷内外の良識を指す。
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