孟子が斉の王に拝謁しようとしたとき、王の使者がやって来てこう伝えた。
「本来なら私のほうから出向いて会うべきですが、風邪をひいてしまい風に当たるのはよくありません。そちらが朝廷にお越しくだされば、私も出ていってお会いできますが、どうでしょうか?」
しかしこの申し出の裏に、王の本心――つまり、形式上はへりくだりながらも孟子を呼びつけようとする意図――を見抜いた孟子は、毅然とした態度で答えた。
「それはあいにく。私も病気で朝廷には参上できません」と。
これはただのやり取りではなく、師としての矜持、そして礼の本質を守るための対応である。孟子はここで、孔子が仮病で自らの意志を示した事例を踏まえ、真に正しい関係性とは何かを静かに問いかけた。
仮病とはいえ、それが正義や礼の維持に資するものであれば、あえて用いることも聖人に許される。大切なのは、形式ではなく、その背後にある真意である。
原文(ふりがな付き引用)
孟子(もうし)将(まさ)に王(おう)に朝(ちょう)せんとす。
王(おう)、人(ひと)をして来(きた)らしめて、曰(い)わく、
寡人(かじん)就(ゆ)いて見(み)るが如(ごと)き者(もの)なり。寒疾(かんしつ)有(あ)り、以(もっ)て風(ふう)す可(べ)からず。
将(まさ)に朝(ちょう)を視(み)んとす。識(し)らず、寡人(かじん)をして見(み)ることを得(え)しむべきや、と。
対(こた)えて曰(い)わく、不幸(ふこう)にして疾(しつ)有(あ)り、朝(ちょう)に造(いた)る能(あた)わず。
注釈(簡潔な語句解説)
- 朝する(ちょうする):臣下が君主に拝謁すること。形式上の礼儀。
- 就いて見るが如き:私(王)の方から出向くべきだという意を込めた言い回し。
- 寒疾:風邪。ここでは王が使った病気の口実。孟子もこれに倣って仮病を用いる。
- 寡人:王の自称。へりくだった表現。
- 造る能わず:出向くことができない。
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