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欲の網にかかるな。見よ、老いと死へ向かう魚のごとく


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📜 引用原文(日本語訳)

人々は盲目なる欲望の網のうちに投げ込まれ、
愛執に捉われて、放逸であり、獄舎に閉じこめられている。
魚が魚獲の網の目にかかったように。
かれらは老いと死とに向かう。
乳を吸いたがる犢(こうし)が母牛に向かうように。
――『ダンマパダ』 第三章「愛執」より(三)


🔍 逐語訳・語句解説

  • 盲目なる欲望の網:理性を失った欲の衝動。対象が見えていても、真理は見えていない状態。
  • 愛執に捉われて:欲望や愛着に囚われて、そこから離れられない。
  • 放逸(ほういつ):自己制御を失い、心のおもむくままに流されている状態。
  • 獄舎に閉じこめられる:心が自由を失い、精神的に拘束されている比喩。
  • 魚獲の網の目:魚が抵抗できず捕らえられるように、人間もまた欲望により逃れられなくなること。
  • 老いと死に向かう:欲に生きる者の最終的な帰結。避けがたい生老病死の流転。
  • 乳を求める子牛:本能に従って無意識に対象へ向かう様子。欲望の自動反応性。

💬 全体現代語訳(まとめ)

人間は理性を曇らせる欲望という網に投げ込まれ、愛執にとらわれたまま自らを見失い、自由をなくしてしまう。そうして、まるで漁師の網にかかった魚のように、逃れられぬ老いと死に向かって突き進んでいく。その様は、乳を求めて無意識に母牛に向かう子牛のように、習慣的で自覚なきものである。


🧭 解釈と現代的意義

この句は、**「無自覚の執着」**がいかに人を縛り、心の自由を奪うかを鮮やかに描いています。現代人もまた、名誉・お金・成功・快楽などの対象に対して「疑いもなく」向かっていく。私たちが「当然のこと」として欲するものは、実は心を縛る網であり、自らを閉じ込めている「獄舎」でもあります。

現代の情報社会では、欲望はより巧妙な形で拡張されています。広告、SNS、ステータス、トレンドなど、私たちの行動は無意識のうちに「仕組まれた欲望」によってコントロールされています。この教えは、「自分は今、何に囚われているのか?」という問いを持つきっかけとなります。


💼 ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
マーケティングにおける倫理意識欲望を煽るのではなく、顧客の本質的ニーズに応えることが、長期的な信頼と持続可能性を生む。
経営判断と冷静さ市場トレンドや競合に踊らされず、自社の軸を見失わないことが重要。欲による判断は誤る。
個人の自己認識キャリアアップ・昇進・収入に向けた行動が「本心」か「執着」かを見極める習慣が、ブレない自己をつくる。
中長期的視点の重要性一時的な成果にとらわれることは、「獲物を求めて網にかかる魚」となる危険性がある。

🪷 心得まとめ:感興のことば

「欲望に向かう無意識が、自らを獄に閉じ込める。
観察と自省こそが、網を破る力となる」

ブッダは私たちに、**「自分がなぜそれを求めているのか」**という問いを与えます。無意識のまま欲望に突き動かされる人は、自由を失い、老いと死に追われるのみです。
逆に、気づいて観ること、それだけがこの網から脱出する唯一の鍵なのです。

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