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この身を観て、驕らず、迷わず、目覚めて生きよ


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■引用原文(『ダンマパダ』第二一章 第二九九偈)

ゴータマの弟子は、いつもよく覚醒していて、昼も夜も常に身体(の真相)を念じている。
――『ダンマパダ』 第二一章 第二九九偈


■逐語訳(一文ずつ訳す)

  • 「ゴータマの弟子は」
     ――釈尊(ゴータマ・ブッダ)の教えを実践する修行者は、
  • 「いつもよく覚醒していて」
     ――常に目覚めた意識(気づき)をもって生きており、
  • 「昼も夜も常に身体(の真相)を念じている」
     ――一日中、身体の実相(無常・不浄・無我)を見つめ、思い上がりや執着を手放している。

■用語解説

  • 身体の真相(カーヤ・サンニャー)
     この偈における「身体」とは、単に肉体という意味にとどまらず、肉体の無常性・不浄性・壊れゆく性質への認識を指します。これは「四念処」(身体・感受・心・法)という仏教の瞑想実践の一つ。
  • 念じる(サティ)
     対象に意識を集中し、それを明晰に観察する精神的行為。身体の動きや姿勢、呼吸、老化などを冷静に観る。
  • 覚醒(アパマーダ)
     放逸に対する覚醒、すなわち怠りなく気づきと自己制御を保つ心の状態。

■全体の現代語訳(まとめ)

仏弟子は、昼も夜も、身体の本質をよく観察し、驕りや執着に囚われることなく、常に目覚めた意識を保って生きている。
この身体は、老い、壊れ、滅びる運命にある。そこに真理を見出し、迷いのない生き方が開かれる。


■解釈と現代的意義

この偈は、私たちがつい忘れがちな「身体の有限性・儚さ・無常さ」に目を向けることの意義を説いています。

現代社会では、肉体の美しさや若さ、能力に重きを置きすぎる風潮がありますが、
それに執着すればするほど、老いや衰え、病や死と向き合うことを避け、苦しみを深めてしまいます。

しかし――
身体の変化を「敵」と見るのではなく、「真理の鏡」として見ることができれば、そこに智慧が芽生えるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
健康と謙虚さの維持体調や老いを正しく受け止め、無理を避け、パフォーマンス管理と自己尊重を両立する働き方へ。
エゴ・慢心の制御若さ・外見・肩書き・能力への過剰な自信を抑え、冷静な自己認識に基づいた判断を行う。
時間の価値の認識身体は有限であり、時間も有限であることを思い出すことで、「今を生きる」意識が高まり、集中力が増す。
セルフモニタリング習慣身体の状態に日々目を向け、働き方や生活習慣を自己調整することで、継続的なパフォーマンスを保つ。

■心得まとめ

「この身を観よ、そこに無常を知り、智慧が芽生える」

身体を誇るな――それは老い、崩れ、滅びる。
身体を卑下するな――それは気づきの道具である。

この肉体の変化と限界を、
冷静に、慈しみをもって見つめるとき、
私たちは「時間」「命」「人生」の本質に気づき始める。

そして――
その気づきこそが、真に覚醒した人生への第一歩となる。


この偈は、「三宝の念」から「四念処」への移行点とも言える重要な節です。

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