灯は燃え尽き、衣は破れ、身も心も冷えきって――それで「悟り」と言えるだろうか。
確かに簡素や静けさは尊い。しかし、それが行き過ぎると、ただの演出となり、空虚さを装った“もてあそび”にすぎなくなる。
身体は枯れ木のように無反応、心は死んだ灰のように感情を失ってしまっては、本来の「空(くう)」の境地を通り越して、「頑空(がんくう)」――すなわち、かたくなで偏った空虚へと堕してしまう。
真の静寂や無欲とは、生きた活力を内に秘めながらも、外に求めぬこと。
死んだように沈むだけでは、それは悟りではなく、ただの停滞である。
引用(ふりがな付き)
寒燈(かんとう)焔(ほのお)無(な)く、敝裘(へいきゅう)温(ぬく)み無(な)きは、総(すべ)て是(こ)れ光景(こうけい)を播弄(はろう)す。
身(み)は槁木(こうぼく)の如(ごと)く、心(こころ)は死灰(しかい)に似(に)たるは、頑空(がんくう)に堕落(だらく)するを免(まぬが)れず。
注釈
- 寒燈(かんとう)焔無く:燃え尽きかけた寂しい灯火。生命力や希望の象徴が消えかけている状態。
- 敝裘(へいきゅう)温み無き:破れた着物に温もりがない。形式的な質素でしかないことを表す。
- 播弄(はろう)す:本来の意味を逸脱して、ただ雰囲気だけを真似ていること。形骸化した態度。
- 槁木(こうぼく):枯れ木。活力や柔軟さを失った肉体の象徴。
- 死灰(しかい):燃え尽きた灰。感情や意志の死を象徴。
- 頑空(がんくう):「空(くう)」の悟りをはき違え、偏屈で冷え切った空虚に堕ちた状態。
関連思想と補足
- 本項は、「空=無」の境地を勘違いし、活力を失うことを美徳とする独善的な姿勢を戒めている。
- 『菜根譚』前集22条では、「静けさ」の中にも生き生きとした内面を保つべきだと説かれている。
- 同じく前集196条では、老いてなお活力と輝きを持つことの大切さが語られており、本項との連携がある。
- 「簡素」と「死に体」は違う。心の静けさと身体の沈滞を混同してはならない。
原文:
燈無焰、敝裘無溫、總是播弄光景。
身如槁木、心似死灰、不免墮落頑空。
書き下し文:
寒燈(かんとう)に焰(ほのお)無く、敝裘(へいきゅう)に温(ぬく)み無きは、総て是れ光景(こうけい)を播弄(はろう)するなり。
身は槁木(こうぼく)の如く、心は死灰(しかい)に似たるは、頑空(がんくう)に堕落(だらく)するを免れず。
現代語訳(逐語/一文ずつ):
- 「寒燈に焰無く、敝裘に温み無きは、総てこれ光景を播弄するなり」
→ 火のついていない灯や、暖かくない破れた上着と同じように、ただ形だけを保って実質のない状態は、すべて光景(見た目)を弄んでいるだけにすぎない。 - 「身は槁木の如く、心は死灰に似たるは、頑空に堕落するを免れず」
→ 体が朽ち木のようで、心が燃え尽きた灰のようになってしまえば、その人は無感覚・無気力な“虚無と愚鈍”の世界に堕ちていくことになる。
用語解説:
- 寒燈(かんとう):寒々とした灯。ここでは「形ばかりで実質が伴わないもの」の象徴。
- 敝裘(へいきゅう):破れた古い毛皮の衣。=機能を果たさぬもののたとえ。
- 播弄(はろう):もてあそぶ、形を装うだけで中身がない様子。
- 槁木(こうぼく):乾ききった枯れ木。生命力のない身体の比喩。
- 死灰(しかい):燃え尽きた灰。情熱・感情・思考を失った心。
- 頑空(がんくう):愚かで何の意味もない空虚な境地。悟りの「空」ではなく、堕落した無意味な無。
全体の現代語訳(まとめ):
炎のない灯や、暖かさのない破れた上着のように、形ばかりあって実質を伴わないものは、すべて虚しい見せかけでしかない。
もし人の身体が枯れ木のように活力を失い、心までもが燃え尽きた灰のようになれば、その人はやがて愚かで空虚な世界に堕ちてしまうだろう。
解釈と現代的意義:
この章句は、**「外見だけの生・熱を失った心の危うさ」**を戒め、精神の活力と実質を取り戻せと教えています。
1. 形骸化したものへの警鐘
- 燈も衣も、それ自体は“機能する”ためにある。形だけあっても意味はない。
→ これは、人間の「肩書」「役割」「制度」が、中身を失って形骸化した状態のたとえ。
2. 心の死=燃え尽き症候群・無感動・無気力
- 情熱を失い、心が“灰”のようになったとき、人は意志も関心も持てなくなる。
- 身も心も“冷たい器”になってしまえば、もはや生きている意味も感じられない。
3. “空”と“頑空”の違い
- 禅や仏教では「空(くう)」は悟りの境地。しかし「頑空」は知恵も感覚も失った“堕落した空虚”。
→ 悟りではなく、思考停止に陥ることへの注意喚起。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「動いているようで、実は止まっている組織」
- 会議、報告、制度など、形式ばかりで実際には成果や成長が伴っていない状態。
→ “灯はあっても焔がない”組織を脱せよ。
2. バーンアウト(燃え尽き症候群)への注意
- 忙しさの中で情熱と関心を失い、「考えたくない」「感じたくない」という状態に陥ると、心は“死灰”と化す。
→ メンタルケアと内的動機の再発見が重要。
3. リーダーこそ“実のある温かさ”を持て
- 名刺や役職だけでは人は動かない。信念・共感・誠意がともなってこそ、真の影響力となる。
→ 「外の光」ではなく、「内に灯る焔」を持つ人が信頼される。
ビジネス用心得タイトル:
「灯る焔を持て──“見せかけ”を超えて、心に火をともせ」
この章句は、形式にとらわれず、内面の活力を保ち続けることの大切さを、鋭く語っています。
現代の働き方においても、“存在している”だけでなく、“生きて働いている”ことの意味と熱を問い直す視点として、大きな価値を持つ言葉です。
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