孟子は、徳の有無が国家の命運を決定するという天の理を強調する。
『詩経』の言葉を引用し、殷(いん)の子孫が数十万を超える大勢力であったにもかかわらず、徳を失ったために天命が周(しゅう)に下された事例を挙げる。
かつて優れた人々であった殷の士たちすら、周の都で祭礼を手伝う立場に落ちたのは、天命が「常に固定されるものではなく、徳のある者に移る」からである。
孔子も、「仁者には多勢をもってしても敵わない」と断言した。
つまり、国の君主が「仁」を本気で好み、実践すれば、天下に敵など存在しなくなる。
しかし今の諸侯たちは、「敵なき者」となることを望みながら、仁を行おうとはしない。孟子はこれを、熱いものを手にしておきながら、水で冷やそうとしない愚かさになぞらえる。
『詩経』の句「誰か能(よ)く熱を執(と)って、逝(ゆ)きて濯(あら)わざらんや」――
熱ければ冷やす。敵をなくしたければ仁を行う。
この自然な対応すらできぬようでは、天命は遠ざかるだけなのだ。
原文(ふりがな付き)
詩(し)に云(い)う、
商(しょう)の孫子(そんし)、其(そ)の麗(れい)億(おく)のみならず。
上帝(じょうてい)既(すで)に命(めい)じて、侯(こう)れ周(しゅう)に服(ふく)せしむ。
侯れ周に服せるは、天命(てんめい)は常(つね)靡(な)し。
殷士(いんし)膚敏(ふびん)なるも、京(けい)に祼将(かんしょう)す、と。
孔子(こうし)曰(いわ)く、
仁(じん)には衆(しゅう)を為(な)すべからず、と。
夫(そ)れ国君(こくくん)仁を好(この)めば、天下(てんか)に敵(てき)無し。
今(いま)や天下に敵無からんを欲(ほっ)して、而(しか)も仁を以(もっ)てせず。
是(こ)れ猶(なお)お熱(あつ)きを執(と)りて、而も以て濯(あら)わざるがごとし。
詩に云う、
誰(た)れか能(よ)く熱を執るに、逝(ゆ)きて濯を以てせざらん、と。
注釈
- 商の孫子(しょうのそんし):殷(商)王朝の子孫。
- 麗(れい)億(おく):その数は十万を超えるほど多い、という意。
- 膚敏(ふびん):人として優れ、立派であること。
- 京(けい)に祼将(かんしょう)す:周の都で祭礼を助ける、かつての殷の士たちの姿。
- 仁不可為衆也夫(じんはしゅうをなすべからず):仁ある者に対して、多くの者をもってしても敵わない。
- 濯(あら)う:ここでは「冷やす」「清める」の意。比喩的に「問題に適切に対処する」ことを指す。
パーマリンク案(英語スラッグ)
- virtue-wins-heaven(徳が天命を得る)
- no-enemy-to-the-benevolent(仁者に敵なし)
- heaven-favors-the-just(天は義ある者に味方する)
- cool-the-heat-with-仁(熱を取るなら仁を)
この節は、「仁」と「天命」の関係を明確に説き、政治の正当性が徳に基づくことを強く訴えるものです。
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