皇太子・李承乾の放縦と奢侈は、ついに極みに達した。宮室の過剰な増築、淫靡な音楽への耽溺、労働力の酷使、異民族の招き入れ――。
これらの振る舞いに、太子詹事の于志寧は繰り返し文書で諫言を行った。
「倹約こそが道を広め、奢侈は徳を損なう」
于志寧は古典の故事を引きながら、歴代の忠臣が節度を持って君を補佐したこと、また非礼な音楽や奢侈がいかに国を乱すかを丁寧に説いた。
さらに、東宮の工事や召使の酷使は民心を損ない、突厥人の招き入れは名声を傷つけると強く訴えた。
しかし李承乾は怒りに駆られ、刺客を送って于志寧の命を奪おうとする。
だがその時、于志寧は母の喪に服しており、筵を敷いた粗末な仮小屋で寝起きしていた。
その様子に胸を打たれた刺客は、ついに刃を下ろせなかった。
やがて李承乾が廃され、太宗はこの一件を知り、于志寧に深く同情し、労いの言葉をかけたのであった。
引用(ふりがな付き)
「克(よ)く儉(けん)を克(おさ)め、用(よう)を節(せっ)すは、実(じつ)に弘(こう)道(どう)の源(みなもと)なり。崇(たか)ぶるに侈(し)を以(も)ってし、恣(ほしいまま)なるは、乃(すなわ)ち敗(はい)徳(とく)の本(もと)なり」
「苦(にが)き言(ことば)を薬石(やくせき)になぞらう」
注釈
- 太子詹事(たいしせんじ):東宮(皇太子府)の統括官。皇太子の補導と管理を任務とする。
- 鄭・衛の音(てい・えいのおん):淫靡な音楽の代名詞。古来、風紀を乱すものとされた。
- 苫廬(せんろ):喪中に建てる簡易の草葺き小屋。礼に則った哀悼の象徴。
- 張師政・紇干承基(ちょうしせい・こつかんしょうき):李承乾に命じられた刺客。于志寧の誠実な喪中生活を見て暗殺を思いとどまる。
- 杜漸(とぜん)・防萌(ぼうほう):悪の芽を初期に摘み取ること。古典における統治の基本原則。
ありがとうございます。以下に、『貞観政要』巻一「貞観十四〜十五年 于志寧が太子承乾の奢侈・非道に諫言し、報復された事案」について、いつも通りの構成で整理いたします。
『貞観政要』巻一「于志寧、承乾の放縦を諫めて命を狙われる」より
1. 原文の要約
貞観十四年、太子承乾が宮室を広げ、贅沢三昧、音楽に耽るようになった。太子詹事(東宮長官)の**于志寧(う・しねい)**は、
- 「節約は徳の源、奢侈は徳を壊す元凶」
- 「音楽の乱れは心の乱れにつながる」
- 「刑罰を受けた者が工事に出入りしており、監督もされず不安」
といった内容で上書し、土木工事の中止、淫楽の排除、身辺整理を強く求めた。
しかし、承乾はこれに応じなかった。
貞観十五年には、
- 勤労の時期にもかかわらず馬車係や官奴婢に長期無休で労役を課し、怨嗟が高まったこと、
- 突厥(敵対する異民族)の下僕を私的に宮中へ招き入れていたこと、
を于志寧が再び厳しく上奏。忠義・礼法に照らして「善を行い、悪を防ぐべし」と訴えた。
これに激怒した承乾は、刺客・張師政と紇干承基を遣わし、于志寧の私邸で暗殺しようとした。
当時、志寧は母喪中で喪屋にいたため、刺客は侵入したがためらい、暗殺は未遂に終わった。
後に太子承乾が廃されると、太宗李世民はこの事を知り、于志寧に深く労いの言葉をかけた。
2. 書き下し文(抄)
臣、聞く。克く儉を守り、用を節すは、徳を弘むるの源なり。
崇侈(しょうし)ほしいままにすれば、これ敗徳の本なり。
宮室の建築に驕侈甚だしく、日々工費がかさむ。工人に刑人が混ざり、出入り自由にして監督もなく、禁闈(禁中)の安全も損なわれる。
鄭衛の楽(淫靡な音楽)は古来より戒められてきた。太子が鼓を打ち、楽師が常に出入りしていることは、古の忠臣も誅される原因となった。
臣、宮中に長く仕え、犬馬にも恩を知る。今、忠を尽くさずんば悔い多し。
もしこれを喜ばれれば、臣に生路あり。これを怒られるならば、臣は罪人にて候。
今、田植えの時期に労役を強制し、分番制も取らず、民に怨嗟が広がる。
また、突厥の奴僕を宮中に引き入れ、人々は恐怖している。忠孝を知らず、礼儀も解さず、かえって太子の評判を損なうのみ。
3. 現代語訳(まとめ)
于志寧は、太子承乾の放縦・奢侈・不徳に対して、再三にわたり上奏文を送り、
- 奢侈を改め、礼儀と儉約を重んじること
- 建築事業を停止し、囚人など不適切な工人の出入りを禁じること
- 淫楽を廃し、賢人の意見に耳を傾けること
- 百姓に対する不当な徴用をやめること
- 異民族(突厥)の下僕を遠ざけること
を強く求めた。
これに怒った承乾は刺客を派遣して殺害を試みたが未遂に終わり、やがて承乾自身が廃され、于志寧の忠誠が明らかに評価されるに至った。
4. 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
詹事(せんじ) | 太子府の総責任者。太子の教育と政務を監督する官職。 |
鄭・衛の楽 | 奢侈で淫靡な音楽の代表。礼楽の乱れを象徴。 |
丁母憂(ていぼゆう) | 母親の喪に服している期間。儒教的に厳粛な生活が求められる。 |
紇干承基(こつかん・しょうき) | 承乾が用いた刺客。 |
司馭・駕士 | 皇族の馬車運行などを担当する役人。 |
匕鬯(ひちょう) | 王の祭祀に用いる香酒。統治の神聖さを象徴。 |
管見・丹鑑 | 私見・誠意ある忠告を象徴する比喩表現。 |
5. 解釈と現代的意義
この章は、忠臣がリスクを負って主君を諫め、暴君の暴走を止めようとした最後の努力の記録です。
- 于志寧は、地位や命を顧みず忠義を尽くした典型。
- リーダーが怒りに任せて忠言を排除すると、最終的にその組織全体が腐敗・破滅に向かう。
- 「小さな悪を見過ごすこと」が大きな破綻を招くという、「杜漸(とぜん)」の教訓が明確に描かれている。
6. ビジネスにおける解釈と適用
- 「不祥事・内部腐敗の萌芽は“放置”から始まる」
無節制な支出、職務の私物化、不適切な人物の登用など、どれも初期対応が重要。 - 「忠言を封じると、組織は確実に壊れる」
上司が「嫌なことは聞かない」文化を作ると、誰も本当の情報を伝えなくなる。 - 「徳なき人材の登用は、ブランド価値の毀損に直結」
承乾が突厥の下僕を引き入れたように、素行の悪い人物の抜擢は組織の評判を下げる。 - 「行動・支出には“透明性”と“節度”を」
公私混同や過度な支出は、組織の信頼を崩壊させる。
7. ビジネス用心得タイトル
「忠言を恐れるな──節と人材が組織を守る」
この章は、倫理・人事・支出・組織管理におけるリーダーの責任と、それを支える補佐の覚悟を伝える、経営層必読の一節です。
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