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「多才」であることより、「志を貫く力」が尊い

あるとき、位の高い官吏・大宰(たいさい)が孔子の弟子・子貢(しこう)に尋ねた。
「孔子先生は、まさに聖人だ。あれほど多才でなんでもできるとは」と。

子貢はそれにこう答えた。
「先生は天から与えられた資質を持ち、さらに多才でもあります」。

この話を後で聞いた孔子は、謙虚かつ核心をついた言葉を残した。
「その大宰は、私のことを本当に知っているのだろうか。私は若いころ、身分が低く、何でもやらされる立場だった。だから多能になったまでだ。
だが、君子とは、本来“何でもできる”必要などないはずだ」と。

弟子の牢(ろう、字は子張)も言う。「先生はこうもおっしゃった。
『私は若いころ社会で評価されず、用いられなかった。だからこそ、いろいろな技を身につけざるを得なかったのだ』と」。

このエピソードは、本当の人物の価値は“多能”にあるのではなく、志を持って着実に生きることにある、と教えてくれる。
「何でもできること」は必要条件ではない。
むしろ、大切なのは、「自分の道をまっすぐ歩む覚悟」である。


原文(ふりがな付き)

「大宰(たいさい)、子貢(しこう)に問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は聖者(せいじゃ)なるか。何(なん)ぞ其(そ)れ多能(たのう)なるや、と。子貢(しこう)曰(いわ)く、固(もと)より天(てん)、之(これ)を縦(ほしいまま)にして聖(せい)を将(まさ)わしめ、又(また)能(よ)く多(おお)からしむるなり。子(し)、之(これ)を聞(き)きて曰(いわ)く、大宰(たいさい)は我(われ)を知(し)るか。吾(われ)少(わか)くして賤(いや)し。故(ゆえ)に鄙事(ひじ)に多能(たのう)なり。君子(くんし)は多(おお)からんや。多(おお)からざるなり。牢(ろう)曰(いわ)く、子(し)云(い)えることあり、吾(われ)試(もち)いられず、故(ゆえ)に芸(げい)あり、と。」


注釈

  • 大宰(たいさい)…高位の官職にあった人物。孔子を「多能の聖人」と評した。
  • 鄙事(ひじ)…つまらない雑務や、身分の低い者が行う仕事のこと。孔子が若き日に従事した。
  • 君子(くんし)…人格と知識を備えた理想の人物像。小手先の技術よりも、道を志すことが求められる。
  • 芸(げい)…ここでは生き抜くために身につけた諸々の技能を意味する。

原文:

大宰問於子貢曰、夫子者與、何其多能也。子貢曰、固天縱之將也、又多能也。子聞之曰、大宰知我乎、吾少也賤、故多能鄙事。君子多乎哉、不多也。牢曰、子云、吾不試、故藝。

書き下し文:

大宰(たいさい)、子貢(しこう)に問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)は聖者(せいじゃ)なるか。何(なん)ぞ其(そ)の多能(たのう)なるや、と。
子貢曰く、固(もと)より天(てん)、之(これ)を縦(ゆる)して将(ひき)い、又(また)多能(たのう)ならしむるなり。
子(し)、之(これ)を聞(き)きて曰く、大宰(たいさい)は我(われ)を知(し)るか。吾(われ)、少(わか)くして賤(いや)し。故(ゆえ)に鄙事(ひじ)に多能(たのう)なり。君子(くんし)は多(おお)からんや。多(おお)からざるなり。
牢(ろう)曰く、子(し)云(い)えることあり、吾(われ)試(ため)されず、故(ゆえ)に芸(げい)あり、と。


目次

現代語訳(逐語/一文ずつ訳):

  • 大宰、子貢に問うて曰く、夫子は聖者なるか。何ぞその多能なるや。
     → 大宰(高官)が子貢に尋ねた。「孔子は聖人なのか?どうしてあれほど多才なのだ?」
  • 子貢曰く、固より天、これを縦して将い、また多能ならしむるなり。
     → 子貢は答えた。「もとより天が彼を放って才能を引き出し、様々な能力を備えさせたのです。」
  • 子、これを聞きて曰く、大宰は我を知るか。吾、少くして賤し。故に鄙事に多能なり。
     → 孔子がその話を聞いて言った。「大宰は私のことを知っているのだろうか。私は若い頃身分が低かった。だからこそ雑事に多く通じるようになったのだ。」
  • 君子は多からんや。多からざるなり。
     → 「君子(徳のある人)は多能であるべきか?いや、多才である必要はないのだ。」
  • 牢曰く、子云えることあり、吾試いられず、故に芸あり。
     → (弟子の)牢(ろう)が言った。「先生はこう仰ったことがある。『私は官職を試されたことがないから、多芸になったのだ』と。」

用語解説:

  • 大宰(たいさい):国の高官、行政長官クラス。
  • 子貢(しこう):孔子の高弟。弁舌に優れ、政治家・商人としても成功した人物。
  • 縦(ゆる)す/将(ひき)いる:自然のままに才能を引き出す/導く。
  • 鄙事(ひじ):雑務・つまらない仕事。技能職や実務作業。
  • 君子(くんし):徳を備えた理想的人格者。
  • 芸(げい):ここでは実務的・技術的な能力やスキル。

全体の現代語訳(まとめ):

高官が孔子の弟子・子貢に尋ねた。「あなたの先生(孔子)は本当に聖人なのか?なぜあんなに多才なのだ?」
子貢は答えた。「それは天から授かったものでしょう。天が彼を導き、様々な能力を与えたのです。」

その話を聞いた孔子はこう言った。「その高官は私のことを分かっていない。私は若い頃、身分が低かった。だからこそ、生活のために雑多な技術を身につけねばならなかったのだ。
徳を備えた君子というのは、多才である必要はない。」

さらに弟子の牢が言った。「先生は以前、『私は官職につく機会がなかったから、いろいろな技を身につけるしかなかったのだ』と仰っていた。」


解釈と現代的意義:

この章句は、「多才」と「徳」の関係を深く問い直すものです。

孔子は「才能があるから偉い」のではなく、身分の低さから努力せざるを得なかった結果、多才になったと語ります。
そして、理想的なリーダー(君子)は、多芸でなくてもよい、むしろ大切なのは徳と品格であると強調しています。

これは「スペシャリスト万能」「スキル重視」が語られる現代において、人格や信念の価値を再確認させる言葉です。


ビジネスにおける解釈と適用:

1. 「多能=優秀」ではない。背景と人格を見よ

  • スキルや経験の多さだけで人を評価せず、「なぜそのスキルがあるのか」「どんな生き方をしてきたのか」という背景を尊重する。
  • 多芸さは境遇によるもの。そこに至った努力や謙虚さこそ、評価すべき価値。

2. リーダーに必要なのは“多芸”より“徳”

  • リーダーシップはスキルセットの集合ではなく、信頼される人格に根ざす。
  • 知識や技能より、「部下を育てる姿勢」「誠実な判断」が重視されるべき。

3. 逆境が“芸”を育てる。キャリアの多様性を肯定する

  • 配属や転職の偶然で様々なスキルを持つようになった人こそ、組織の“橋渡し役”になれる。
  • 雑務・実務の積み重ねは、のちのリーダーシップに活きる“実地の知恵”。

ビジネス用心得タイトル:

「芸は身を助け、徳は人を動かす──多才より人格の時代へ」


この章句は、キャリア形成・人材評価・リーダーシップ育成の場面において非常に示唆に富みます。

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