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人格は「主」、才能は「従」――主客が逆転すると、世は混乱する

徳(とく)=人格は人間の主(あるじ)であり、
才(さい)=才能はその従者(しもべ)にすぎない。

つまり、本来あるべき姿は、
人格が中心にあり、才能はそれに従う形で発揮されるべきということ。

ところが、才能ばかりあって、人格が備わっていない者は、
あたかも家に主人がいないまま、召使いが勝手に家を支配しているようなもの。

そのような状態では、物事の道理は無視され、混乱と暴走が起こりやすくなる
まさに、「もののけが家を乗っ取って暴れまわる」ような事態である。


原文(ふりがな付き)

徳(とく)は才(さい)の主(あるじ)にして、才は徳の奴(どれい)なり。才有(あ)りて徳無(な)きは、家(いえ)に主(しゅ)無(な)くして奴(どれい)の事(こと)を用(もち)うるが如(ごと)し。幾何(いくばく)か魍魎(もうりょう)にして猖狂(しょうきょう)せざらん。


注釈

  • 徳(とく):道徳性・人格・人間としての成熟度。ここでは人としての根本的な基盤。
  • 才(さい):能力・知恵・技術。表に現れやすい優れた力。
  • 家に主無くて奴の事を用う:本来従うべき存在(奴)が、支配権を握って暴走する異常な状態。
  • 魍魎(もうりょう):人の手に負えない妖怪・化け物のような存在。ここでは秩序を破壊する象徴。
  • 猖狂(しょうきょう):手がつけられないほど暴れ狂うこと。理性を失った混乱の様子。

※『孟子』の「友たる者は、其の徳を友とするなり」(万章下篇)は、「人と交わる基準は、その人の才能ではなく、人格に置くべきだ」という理念です。吉田松陰もこの言葉を愛し、自らの交友・教育に生かしました。


パーマリンク(英語スラッグ)

  • virtue-over-talent(才能よりも徳)
  • when-talent-leads-chaos-follows(才能が主になれば混乱が起こる)
  • character-must-govern-ability(人格こそが能力を導く)

この条文は、人の本質的な在り方と組織・社会の秩序の要を明確に示しています。

現代社会でも、能力がありながら人格が伴わない者が暴走すれば、
その影響力は大きく、周囲を巻き込む混乱や害悪を生み出します。

だからこそ、「頭が良い」「仕事ができる」だけでは不十分。
それを導く人格こそが、人を真に偉大にすると『菜根譚』は教えてくれます。

目次

1. 原文

第一節:
德者才之主、才者德之奴。
有才無德、如家無主而奴用事矣。
幾何不魍魎而猖狂。

第二節:
鋤奸杜倖、須放他一條去路。
若逼之一無可容、譬如塞鼠竇者。
一切去路都塞盡、則一切好物俱咬破矣。


2. 書き下し文

第一節:
徳は才の主にして、才は徳の奴なり。
才ありて徳なければ、家に主なくして奴の事を用うるがごとし。
幾何(いくばく)か魍魎にして猖狂せざらん。

第二節:
奸を鋤(す)き倖(こう)を杜(ふさ)ぐには、須(すべか)らく彼に一条の去路(きょろ)を放つべし。
もしこれを逼(せ)めて一も容(い)る可きを無くさば、譬えば鼠竇(そとう)を塞ぐが如し。
一切の去路を塞ぎ尽くせば、則ち一切の好物、俱(とも)に咬(か)み破られん。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)

第一節:

  • 徳とは才能を支配する“主”であり、才能は徳に仕える“従者”である。
  • もし才があっても徳がなければ、それは主人が不在で召使いが勝手に家を動かすようなものだ。
  • その結果、いずれは魍魎のように化け物となり、猖狂(=手のつけられない暴走)に至るだろう。

第二節:

  • 悪を取り除き、運まかせの不正を断つにしても、相手に一つの逃げ道(去路)は残すべきである。
  • もし完全に追い詰めてしまえば、それはちょうどネズミの抜け穴を全部ふさいだようなものだ。
  • すべての逃げ道を断ち切れば、ネズミは怒って、家の中の貴重な物を片っ端からかじって壊してしまう。

4. 用語解説

  • 徳(とく):道徳的な人格・人間性。人としての軸。
  • 才(さい):能力・知恵・スキル。
  • 奴(やっこ):使用人、従属者。ここでは才能の比喩的表現。
  • 魍魎(もうりょう):妖怪や人外の存在、理性を失った存在の象徴。
  • 猖狂(しょうきょう):暴れ狂う、手がつけられないほど乱れること。
  • 鋤奸(じょかん):奸計を取り除くこと。
  • 杜倖(とかん):運頼みのズル・僥倖(ぎょうこう)を防ぐこと。
  • 鼠竇(そとう):ネズミの通り道=逃げ道のたとえ。
  • 咬破(こうは):かみ壊すこと。怒りや反発の表現。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

第一節:
才能は徳によって制御されてこそ真価を発揮する。
徳のない才能は制御不能となり、いずれは害となって暴走してしまう。
それは主のいない家で召使いが好き勝手に暴れているようなものであり、人格のない能力は社会に害をもたらす。

第二節:
悪を正すときでも、相手に全く逃げ道を残さなければ反発と混乱が起こる。
完全に締め付ければ、たとえば逃げ場を失ったネズミのように、怒りで破壊的な行動に出てしまう。
だからこそ、たとえ相手に非があっても、退路をひとつ残す「情けと戦略」が必要である。


6. 解釈と現代的意義

第一節の意義:

  • 「能力」だけが先行すると、傲慢・逸脱・破壊へと至る危険がある。
  • 本質的に、“人間性・倫理・謙虚さ=徳”が“能力=才”をコントロールする主であるべき。
  • 今の社会にも、「能力はあるが人として信用できない」という人物が問題を起こす例は多い。

第二節の意義:

  • どんなに悪人でも、徹底的に追い詰めれば反撃する。
  • 寛容は単なる優しさではなく、「反発や報復を生まない戦略」でもある。
  • 組織運営や人間関係においても、「逃げ道」や「面子を残す道」を与えることが、事態を円満に収める鍵となる。

7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

● 「スキルより人格が主であるべき」

  • 能力がある人材でも、倫理観が欠如していれば重大な損失を招く
    → 採用や昇進では“徳”を最重視すべき。たとえば「チームを支える姿勢」「誠実な対話力」など。

● 「降格・処分・叱責にも“逃げ道”が必要」

  • 社員のミスや不正を正すとき、社会的に完全に抹殺するような対応は逆効果
    → **謝罪や改善の余地を残す“救済設計”**が必要。
    例:リカバリープラン提示、面子を保った異動、再チャレンジ制度など。

● 「過度の締め付けは組織を壊す」

  • パワハラや過度なルール化で“全てを管理しようとする”と、反発・ストレス・内部崩壊を招く。
    → 信頼による任せ方と、柔軟な余地のバランスが必要。

8. ビジネス用の心得タイトル

「才は徳に従い、処断には余地を──“制御”と“寛容”が組織を守る」


この章句は、才能と人間性のバランスの重要性と、統治・指導における寛容の戦略的価値を見事に描いています。
“全てを管理しようとするほど壊れやすくなる”という真理は、現代の組織運営や人間関係においても核心的な示唆を与えてくれます。

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