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富貴は偶然、徳行は真の価値

――王に生まれても、小人となるは自らの業による

太宗は李元景・李元昌・李恪・李泰ら王たちに向かい、地位や富を持つことよりも、日々の行いと徳を積むことこそが人としての価値を決めると説いた。

漢代以降、皇帝の子弟で封土を授かりながらも、真に名声を得て爵位を保った者は、東平王と河間王のような例外を除きほとんどいなかった。
楚王司馬瑋のように、裕福な境遇から驕り高ぶり、ついには身を滅ぼした者が多かったのだ。

太宗は「徳によって人を服従させる」との格言を引用し、それは真実であると断言する。
そして、自らの夢に舜が現れた時は畏敬の念を抱いたが、もし桀王や紂王が現れたら斬り捨てたであろう、と語る。
この比較は、称賛される人間とは身分ではなく「行い」によって決まることを如実に示している。

位と禄は天から与えられたものだが、そこに徳行が伴わなければ、虚名となって崩れる。
君子と小人の差は、血筋や地位ではなく、善を積むか悪を為すかにかかっているのだ。


引用とふりがな(代表)

「君子(くんし)・小人(しょうじん)、本(もと)より常(じょう)なし。善(ぜん)を行(おこな)えば君子、悪(あく)を行えば小人」
――行いが人の格を決める

「位(くらい)列藩王(はんおう)、食実封(しょくじつほう)を家(いえ)とす。なお徳行(とくこう)を修(おさ)めば、美(うるわ)しからずや」
――地位ある者こそ、徳をもって真価を問え

「桀(けつ)・紂(ちゅう)と呼ばれれば人は怒り、顔回(がんかい)・閔子騫(びんしけん)と呼ばれれば喜ぶ」
――人は徳によって敬われる


注釈(簡略)

  • 東平王(とうへいおう)・河間王(かかんおう):漢代の名君。徳によって民に慕われた。
  • 楚王司馬瑋(しばい):西晋の王族で、専横を極めたのち一族に殺された。
  • 顔回(がんかい)・閔子騫(びんしけん):孔子の高弟で、質素で高潔な人柄が尊ばれた。
  • 郭林宗(かくりんそう)・黄叔度(こうしゅくど):後漢の高士。学識と節義を備え、官職に執着せず人格者として称えられた。
  • 食実封(しょくじつほう):実際に収入を伴う封地・俸禄のこと。名目だけでない真の恩賞。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • virtue-over-privilege(徳は地位に勝る)
  • nobility-is-earned(貴さは行いによる)
  • greatness-requires-virtue(偉さに必要なのは徳)

この章では、太宗の教えが一貫して「行い第一」であることが明示されています。
それは名門・高位の出であろうと、日々の修養を怠れば小人にもなり得るという、血筋至上を否定する実践的な思想でもあります。

以下に、『貞観政要』巻一「貞観十年 太宗の諸王に対する教戒」の章句を、いつも通りの構成で丁寧に整理してご提供いたします。


目次

『貞観政要』巻一「貞観十年 太宗、王族に徳行を説く」より


原文(整形)

貞観十年、太宗、王元景・漢王元昌・趙王恪・魏王泰らに謂(い)いて曰く:

「自漢以来、皇帝の弟や子で、封地(茅土)を受け、栄誉と富貴に浴した者は非常に多い。しかし、東平王や河間王だけが最もよい名声を得、祿位を保った。他は楚王瑋のように、失敗した者が少なくない。

これらはいずれも、富貴に生まれ育ち、傲慢や奢侈を好み、自らを誤ったからである。お前たちはこれを鑑とし、深く考えねばならぬ。賢才を選び取り、師友として、必ずその諫言を受け入れるようにせよ。決して独断に陥ってはならない。

私は『徳をもって人を感化すれば、信じる心は空虚なものではない』と聞く。最近、夢である人物に会った。『私は舜である』と名乗られ、私は無意識に敬意を抱き身を正した。これは舜の徳の力に心が動かされたからであろう。

逆に、もし桀や紂の夢を見ていたら、私はすぐに斬りかかったであろう。桀・紂はたしかに天子であったが、いま『おまえは桀・紂のようだ』と言われれば、人は怒る。一方、顔回・閔子騫・郭林宗・黄叔度などは庶民出身だが、彼らにたとえられれば人は喜ぶ。

このことから分かるように、人の立身において尊ばれるのは、地位や身分ではなく、徳行こそが最も貴いのだ。

お前たちは藩王として封地と財産を持ち、もしさらに徳を修めることができるならば、これ以上に美しいことはない。

また、君子と小人は固定された属性ではなく、善行をすれば君子、悪事をすれば小人である。だからこそ自らを克服し、善行を積み重ねるよう励み、欲に流されて自滅することがないようにせよ。」


書き下し文

太宗、王元景・漢王元昌・趙王恪・魏王泰に謂いて曰く:

「漢よりこのかた、帝弟・帝子にして茅土を受け、栄貴に居する者は甚だ多し。ただ東平王・河間王のみ、最も令名ありて、祿位を保ち得たり。楚王瑋のごときは失敗者にして、枚挙に遑(いとま)あらず。

皆、富貴に生長し、自ら驕逸を好み、遂にその身を誤るなり。汝等、これを鑑となし、宜しく熟思すべし。賢才を揀擇して師友とし、必ず諫諍を受け、独断すべからず。

我聞く、徳を以て物に感ずれば、信は虚しからずと。比来(このごろ)、夢中に一人ありて曰く『我は舜なり』と。我、覚えずして竦然として敬い異(こと)なる。豈(あに)その徳を仰ぐに非ざらんや。

もし桀・紂を夢に見たらば、必ず之を斫(き)らん。桀・紂は天子といえども、いま人に『桀・紂のごとし』と称せられれば、必ず怒らん。

また顔回・閔子騫・郭林宗・黄叔度は布衣(平民)なれども、いま『この四賢に似たり』と褒めらるれば、必ず喜ばん。

これより知るべし、人の立身、貴ぶところはただ徳行に在り。何ぞ栄貴を論ずるに足らんや。

汝等は藩王に列し、家食の実封を受く。さらに徳行を修むれば、豈に美ならざらんや。

しかも君子と小人とは常無し。善を行えば君子となり、悪を行えば小人となる。まさに自ら剋(こく)し勵むべし。善事日ごとに聞えしめ、欲を縦(ほしいまま)にして刑戮に陥るなかれ」。


現代語訳(まとめ)

太宗は王族たちにこう説いた:
「皇族の多くは高い地位と富を持ちながら、その多くが身を誤ってきた。理由は、富貴の中で驕り、賢者の忠言に耳を貸さなかったからだ。夢の中で“舜”に会い、私は無意識に敬意を抱いた。これは、徳が人の心を動かすからだ。君主であっても桀・紂のような暴君と呼ばれれば怒り、平民でも徳があれば称賛される。立身出世において大事なのは、地位ではなく徳行である。藩王であるお前たちは、財を持つだけで満足せず、徳を修めよ。善を行えば誰でも君子になれる。欲に溺れず、自らを律して歩むべきだ」


用語解説

  • 茅土:封地の象徴。王侯に与えられる土地・権益。
  • 令名:すぐれた評判。高い徳望。
  • 桀・紂:暴君の象徴(夏・殷の滅亡を招いた王)。
  • 顔回・閔子騫:孔子の高弟で人格的に優れた人物。
  • 郭林宗・黄叔度:後漢・魏の清廉な名士。
  • 家食実封:実際に年貢収入を得られる領地を持つこと。
  • 克修(こくしゅう):自己を律し、徳行を積むこと。
  • 刑戮:刑罰・処刑。破滅を意味する。

解釈と現代的意義

この章句は「人の価値は地位や家柄ではなく、徳行にある」という儒教的核心を、具体的な例え(夢に現れた舜や桀・紂、布衣の賢者たち)によって鮮やかに説いています。

  • 貴種であっても驕れば堕ちる。平民でも徳があれば尊敬される。
  • 君主や上位者ほど、自らを律し、忠言に耳を傾ける「謙虚な心」が必要。
  • 人格者とは「生まれ」ではなく「行い」によって決まるという、普遍的な倫理観。

ビジネスにおける解釈と適用

  • 「肩書きより人間性が評価される時代」
    地位やタイトルではなく、誠実な振る舞い・倫理的判断がリーダーとしての信頼を決定する。
  • 「成功体験のある人ほど、忠言を受け入れるべき」
    “できる人”ほど慢心に陥りやすい。外部のアドバイザーやメンターの配置が重要。
  • 「称賛される人材とは?」
    他人の口から「◯◯のようだ」と名を挙げられる存在になるには、人格の研鑽が不可欠。
  • 「部下にとっての“桀・紂”になっていないか」
    威圧的な上司は、尊敬されずに恐れられるだけ。徳によって信頼される上司を目指す。

ビジネス用心得タイトル

「地位にあぐらをかくな──“徳”がなければ誰もついてこない」


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