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生まれつきの美人才人より、生まれてからの磨きが大切である

本質は“どう生まれたか”より“どう整えるか”にある

孟子は、中国古代の絶世の美女として知られる西施(せいし)を例に挙げて、人の評価や尊厳が見た目や才能の天賦だけでは決まらないことを説く。

たとえ西施のように美しくとも、不潔なもの(=身だしなみや徳の乱れ)をかぶっていれば、人は鼻をつまんで通り過ぎてしまう
一方で、どれほど容姿が劣る者であっても、斎戒沐浴して身と心を清めれば、天の神である「上帝」もその祀りを受け入れてくださる

つまり、孟子がここで伝えているのは、

人の価値は“生まれつき”ではなく、“後天的な修養”によってこそ決まる

という儒家の核心的思想である。


原文(ふりがな付き)

孟子(もうし)曰(いわ)く、
西子(せいし)も不潔(ふけつ)を蒙(こうむ)らば、則(すなわ)ち人皆(ひとみな)鼻(はな)を掩(おお)いて之(これ)を過(す)ぎん。
悪人(あくじん)有(あ)りと雖(いえど)も、斎戒沐浴(さいかいもくよく)すれば、則ち以(もっ)て上帝(じょうてい)を祀(まつ)るべし。


注釈

  • 西子(せいし)/西施(せいし):中国古代の美女。呉王夫差が寵愛したとされる。
  • 不潔を蒙る:汚れた衣や見苦しい状態。身体的・精神的な「整えなさ」。
  • 鼻を掩いて之を過ぐ:近づくのを嫌がり、避ける。
  • 斎戒沐浴:心身を清める修行・儀式。神前に立つための準備。
  • 上帝(じょうてい):天の神。儒教における宇宙的道徳の根源的存在。

心得の要点

  • 生まれながらの才能・美貌も、徳や礼がなければかえって人から嫌われる。
  • 見た目や生まれよりも、心と行いを清めることこそが人の尊さを決める。
  • 天は整えられた者の祈りを受け入れる。修養のない者には応えない。
  • 外面的な条件に惑わされず、内面的な修養によってこそ価値が宿る

パーマリンク案(スラッグ)

  • virtue-over-birth(徳は出自を超える)
  • purity-makes-worthy(清めが価値を生む)
  • refined-not-born(磨かれて人となる)

この章は、現代においても「才能信仰」や「容姿至上主義」への警鐘として響きます。孟子は、**「後天的な努力と内面の整えこそが、真の価値を生む」**という普遍の真理を、美しい比喩で語っています。

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