MENU

王者の徳は、民を長く導く力となる

孟子は、覇者と王者の違いを語り、王者が持つ徳について深く述べた。覇者は人気取りの政策で民を喜ばせることが多いが、その喜びは短期間で終わる。しかし、王者の徳は自然であり、民の心を深く包み込む。民は王者の徳によって心広く、ゆったりとした生活を送り、王者が民を支配するのではなく、その徳が民に深く浸透し、日々善を行うようになる。それは、民が何をしているのか、誰がそうさせているのかもわからないほど自然な影響である。王者の徳は、王者が通り過ぎる場所、住む場所において、ますます神妙で深い影響を与え、その影響は天から地まで広がり、限りなく広がっていく。

「孟子曰(もうし)く、覇者の民は驩虞(かんぐ)如たり。王者の民は皞皞(こうこう)如たり。之を殺すも怨みず、之を利するも庸(こう)とせず。民、日に善に遷りて、而も之を為す者を知らず。夫れ君子の過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり。上下、天地と流れを同じゅうす。豈之を小補(しょうほ)すと曰わんや」

「覇者の民は一時的に喜び、王者の民は心広くゆったりとしている。王者が民を殺しても怨むことなく、民に利益を与えても、それを功績とは思わない。民は日々善を行い、誰がそれをしているか知らない。君子が通るところで、人々はその徳に感化され、その徳が続く場所では、その影響はさらに神妙で、天と地のように広がり、少しばかりの恩恵を施すこととは比べ物にならない」

王者の徳は、民の心を深く満たし、自然と民を正しい方向に導く力を持っている。

※注:

「驩虞如」…喜ぶ様子。
「皞皞如」…心広く、ゆったりとしている様子。
「庸」…功績、成果。
「神なり」…深い影響力、または神妙な影響。
「小補」…少しばかりの恩恵を施し、改善していくこと。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次