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有能であることと、徳があることは別物である

実務能力は評価される。しかし、仁者とはもっと深いものだ

魯の大夫・孟武伯が、孔子に弟子たちの「仁者としての資質」についてたずねた。
子路(由)については、「千乗(せんじょう)の国」での政治や軍事運営をまかせるだけの力があると認めつつも、「仁者かどうかはわからない」と答えた。
次に冉求(求)についても、地方都市や小国の行政を任せられるとしながら、「仁者とは言えないかもしれない」と慎重な回答をした。
さらに公西赤(赤)についても、礼をもって外交にあたる器量があるとしつつ、「仁者かどうかは知らない」と述べた。

これは、実務に優れること=仁者であるとは限らないという孔子の明確な線引きである。
どんなに仕事ができても、それが「人を思いやる心(仁)」に根ざしていなければ、真に立派な人物とは言えない。
仁者とは、能力や技術の問題ではなく、「どう生きているか」「何を心の核としているか」で決まる――孔子の一貫した価値観がここにあらわれている。


原文とふりがな付き引用

孟武伯(もうぶはく)、問(と)う、子路(しろ)は仁(じん)なるか。
子(し)曰(いわ)く、知(し)らざるなり。又(また)問(と)う。
子曰く、由(ゆう)や、千乗(せんじょう)の国に、其(そ)の賦(ふ)を治(おさ)めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。
求(きゅう)や如何(いかん)。子曰く、求や、千室(せんしつ)の邑(ゆう)、百乗(ひゃくじょう)の家に、之(これ)が宰(さい)たらしむべし。其の仁を知らざるなり。
赤(せき)や如何。子曰く、赤や束帯(そくたい)して朝(ちょう)に立ち、賓客(ひんかく)と言(い)わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。

能力は備わっていても、
心に「仁」がなければ、君子とは言えない。


注釈

  • 仁(じん)…人への思いやり、誠実さ、徳。孔子の思想の中心概念。
  • 千乗の国…戦車千台を保有する中規模の諸侯国。相応の政軍両面の力量が求められる。
  • 冉求(ぜんきゅう)…慎重で実務能力に優れた門人。冉有とも呼ばれる。
  • 公西赤(こうせきせき)/子華…礼儀作法に秀でた門人。外面の礼儀は完璧でも内面の「仁」には及ばなかったという含意。
  • 賦を治める…徴税・兵役などを管理し、国を治めること。
  • 束帯して朝に立つ…正式な礼装で朝廷に出仕すること。格式ある場でのふるまいに通じている。
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