孟子は、人の本性が善であることを、心に備わる四つの徳の“萌芽(芽生え)”をもって示します。
それは外から与えられたものではなく、もともと人の内にあるもの。
つまり人は、美徳を「好む性質」そのものを授かっているのです。
四つの徳の芽生え:本性から自然に湧き上がるもの
孟子は、人の内にある以下の四つの「心」を挙げます:
- 惻隠(そくいん)の心
→ 他人の不幸をあわれむ心(=仁の萌芽) - 羞悪(しゅうお)の心
→ 不義を恥じ、悪を憎む心(=義の萌芽) - 恭敬(きょうけい)の心
→ 慎み、敬う心(=礼の萌芽) - 是非(ぜひ)の心
→ 善悪を見極めようとする心(=智の萌芽)
これらはいずれも、誰もが本来的に備えている感情や直感であり、外から学ぶ前にすでに存在する。
「仁義礼智とは、外からめっきされたものではない。
それは私たちがもともと持っていたものである。
ただ、それに“思いを至らせていない”だけなのだ。」
美徳を得るか、失うかは、自分次第
孟子は続けて言います:
「だからこそ、求めれば得られ、放っておけば失われる。
美徳を伸ばした人と、そうでない人の間には、2倍、5倍、果ては計算もできないほどの差がついてしまう」
この差は才能の違いではなく、本性に根ざした“徳の芽”をどれだけ育てたかにあるのです。
『詩経』と孔子の引用――本性と徳をつなぐ証言
孟子は『詩経』の一句を引用します:
「天は民を生み出すとき、物には必ず“則”(法則)を与えた。
民は不易の本性に従い、美徳を好むようになった。」
孔子はこの詩に対して、
「この詩を作った者は、人の道をよく知っていたに違いない」
と評価したと孟子は述べます。
この引用を通して孟子は、人が美徳を好むという本性は、古代から認識されていた普遍の真理であると強調します。
出典原文(ふりがな付き)
惻隠(そくいん)の心、人皆(みな)之(これ)有(あ)り。
羞悪(しゅうお)の心、人皆之有り。
恭敬(きょうけい)の心、人皆之有り。
是非(ぜひ)の心、人皆之有り。
惻隠の心は仁なり。羞悪の心は義なり。恭敬の心は礼なり。是非の心は智なり。
仁義礼智(じんぎれいち)は、外より我を鑠(しゃく)するに非(あら)ず。我、固(もと)より之を有(ゆう)す。思わざるのみ。
故(ゆえ)に曰(い)く、求むれば則(すなわ)ち得(う)べく、舎(す)つれば則ち失(うしな)う。
或(ある)いは相倍蓰(そうばいし)して、算(さん)無き者は、其の才(さい)を尽(つ)くすこと能(あた)わざる者なり。
詩(し)に曰く、天、蒸民(じょうみん)を生ず、物有れば則(のり)有り。
民の秉夷(へいい)、是の懿徳(いとく)を好(この)む、と。
孔子(こうし)曰く、此の詩を為(つく)る者は、其れ道(みち)を知れる者か、と。
注釈
- 鑠する:めっきすること。外からの装飾の意味。
- 倍蓰(ばいし):「倍」は2倍、「蓰」は5倍。善悪や徳の差がどんどん広がることを表現。
- 蒸民(じょうみん):民衆、万民。
- 秉夷(へいい):「秉」は“つかさどる”、“夷”は“常に”。自然の本性に従うという意。
- 懿徳(いとく):美しい徳、優れた道徳。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
virtue-begins-within
「徳は内から始まる」ことをシンプルに表現。
その他の候補:
- seeds-of-virtue(徳の芽)
- innate-goodness(生まれつきの善性)
- goodness-lost-or-grown(善は育つか、失われるか)
この章では、孟子の性善説が情=心の動きのレベルで自然に備わっていることが具体的に示されています。
特に、仁・義・礼・智という徳がすべて“心の芽”として誰にも備わっているとする構造は、教育論や人格形成論に今も強い影響を与える思想です。
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