― 仁義を説く者も、堂々と報酬を受け取る資格がある
前項に続き、弟子の彭更(ほうこう)はさらに疑問を投げかける。
「建具屋や大工が仕事をするのは、食べていくためです。では、君子が道を説くのも、結局は食禄(しょくろく)を得るためなのですか?」と。
孟子は問い返す。
「お前は“志”に報酬を与えるのか、それとも“成果”に与えるのか」。
彭更は「志に報いる」と答えるが、孟子は例を出して反論する。
瓦を割り、壁を傷つけてばかりの職人がいたとしても、彼らの「食べていきたい」という志だけを理由に報酬を与えるのか?――いや、成果がなければ報いるに値しないはずだ。
つまり孟子は、「志が立派であるだけではなく、それに見合う働き=功(こう)を成してこそ、報酬に値する」と説く。
「子(し)は志に食(は)ましむるに非(あら)ず、功(こう)に食ましむるなり」
― 志ではなく、成果に対してこそ報いるべきである
これは、君子が諸侯を巡って食禄を受けることに対する正当性の根拠でもある。
もし君子が人々に仁義を説き、社会を良くする方向へ導こうとし、それによって学ぶ者が育ち、秩序が保たれていくならば、それは立派な「成果」であり、食禄を受けるにふさわしい働きである。
孟子は、自らの使命に対して一切の迷いがなく、仁義と王道を広める者としての「自信と覚悟」に満ちていた。
それは単なる自己正当化ではなく、社会における精神的支柱としての士(さむらい)=知識人の誇りを表した言葉でもある。
原文(ふりがな付き引用)
「子(し)は志(こころざし)に食(は)ましむるに非(あら)ず、功(こう)に食ましむるなり」
注釈
- 志に報いる(こころざしにむくいる)…意志や目的を持っているというだけで報酬を与えること。
- 功に報いる(こうにむくいる)…実際に果たした働き=成果に応じて報酬を与えること。
- 伝食(でんしょく)…諸侯を渡り歩きながら食禄を受ける行為。遊説行脚の一形態。
- 梓・匠・輪・輿(し・しょう・りん・よ)…建具屋、大工、車輪・車台の職人。実務職のたとえ。
- 瓦を毀ち、墁に画す(がをこぼち、まんにえがく)…技術のない職人が瓦を割り、壁を傷つけてばかりいる様子。成果なき努力の比喩。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
value-is-in-results
(価値は結果に宿る)purpose-without-outcome-is-not-enough
(志だけでは報いられぬ)worthy-reward-for-worthy-deed
(正しき働きに正しき報酬)
この章は、孟子の強い自負心と信念に基づいた自己肯定の表れでもあります。
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