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戦の勝利より、戦を避ける知恵を尊べ

貞観四年、林邑から無礼な文書が届いたとの報告を受け、官僚たちは討伐を願い出た。
しかし太宗は、毅然としてこれを退けた。

「兵とは凶器、やむを得ない時にのみ用いるべきものである。
光武帝は『一度兵を動かせば、気づかぬうちに白髪になる』と言った。
苻堅は百万の兵を挙げて一敗し、隋の煬帝は繰り返し戦を起こし、民を苦しめて殺された。
頡利可汗も遠征を重ねて部族を疲弊させ、滅亡を招いた。
私はそのすべてをこの目で見てきたのだ。どうして軽々しく兵を動かせようか」

太宗はさらに、林邑までの道の険しさや風土病の危険も挙げた上で、
「無礼な言葉に目くじらを立てる必要はない」と断じ、軍を発することなく事を治めた。

本当に強い国とは、怒りに任せて刀を抜く国ではない。
苦しむ民を顧み、勝っても損なわれる戦を避ける決断を下す国である。
「戦わずして勝つ」とは、軍事における最高の知恵である。


■引用(ふりがな付き)

「兵(へい)は凶器(きょうき)、已(や)むを得(え)ずして之(これ)を用(もち)う。故(ゆえ)に漢(かん)の光武(こうぶ)曰(いわ)く、『毎(ごと)に一(ひと)たび兵(へい)を発(はっ)すれば、覚(おぼ)えずして頭鬚(とうしゅ)白(しろ)く為(な)る』と」


■注釈

  • 凶器(きょうき):本来は禍をもたらす危険な道具。軍隊や兵器のこと。
  • 光武帝の言葉:戦はそれほどに神経と労苦を要し、指導者を疲弊させるものだという意味。
  • 苻堅(ふけん):前秦の皇帝。兵を恃み、南征して敗北、滅亡した。
  • 煬帝(ようだい):隋の皇帝。高句麗遠征を繰り返し、人民の怨嗟の中で暗殺された。
  • 頡利可汗(けつりかがん):突厥の支配者。連年の遠征で国力を損ない、突厥は崩壊。
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