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喜びにも、苦しみにも、揺らがぬ者であれ

この人生において、「スカ(快)」と「ドゥッカ(不快)」は絶えず巡ってくる。
誰もが心地よさを求め、痛みを避けようとする。
その営みは、文化や国境を超えて人間に共通する本能であり、行動の原動力でもある。

美味を求め、成功を求め、人とのつながりを求める――
それらはすべて、「スカ」を得ようとする働きである。
病や別離、喪失や裏切りを避けたいという思いもまた、「ドゥッカ」を遠ざけたいという自然な欲求にすぎない。

だが、この世界には、スカばかりが用意されているわけではない。
大雨の日に「晴れてくれ」と空を見上げても、空の意志は変えられないように、
人生には、避けようのない「ドゥッカ」がある。

大切な人との別れ、努力の果ての失敗、思いが届かぬ痛み――
これらは、誰にとっても訪れるものであり、それを嘆くだけでは前に進めない。

『バガヴァッド・ギーター』で語られるのは、こうした不可避の現実をどう受け入れ、どう乗り越えるかという知恵である。

生まれたものに死は必定であり、死んだ者には生は必定であるから。それ故、不可避のことがらについて、あなたは嘆くべきではない。(第 2章 27節)

この言葉は、人生に抗うのではなく、流れを受け入れて歩めという深い導きである。

主人公アルジュナは、王族としての栄光と「スカ」に満ちた人生を歩んできた。
しかし、その安穏は戦場という「ドゥッカ」によって一変した。
愛する者を相手に武器を取るという、避けがたい苦しみの前で、彼の心は崩れ落ちた。

だが、クリシュナが彼に語ったのは、「変えられぬ現実を拒むことこそ、苦しみの原因である」という真理である。
真の知識とは、「何が起きようとも、自分の本質(アートマン)は揺るがない」と知ることである。
そしてその理解が深まったとき、人は「スカ」に執着せず、「ドゥッカ」にも飲まれなくなる。

不幸において悩まず、幸福を切望することなく、愛執、恐怖、怒りを離れた人は、叡智が確立した聖者と言われる。(第 2章 56節)

スカとドゥッカは、どちらも一時の波であり、本質ではない。
その波に巻き込まれず、ただ静かに、誠実に生を歩む者――
その人こそが、変化の中で不変を生きる者となる。

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