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📖引用原文(日本語訳)
愛欲の園からも離れ、愛欲の林から脱している人々からも離れているのに、また愛欲の林に向って走る。
この人を見よ! 束縛から脱しているのに、また束縛に向って走るのである。
――『ダンマパダ』 第二七章「観察」第二十九節
🧩逐語訳と補足解釈
- 愛欲の園(カーマーヴァナ):快楽・欲望・執着が茂る象徴的空間。五欲の満たしどころ。
- 愛欲の林から脱している人々からも離れている:出家修行者や解脱者からさえも距離を取り、真に自由であるかのように見える状態。
- また愛欲の林に向かって走る:欲を断ち切ったはずの者が、再び欲望の世界へと足を踏み入れる矛盾。
- 束縛から脱しているのに…:せっかく自由になったのに、また自らの意思で囚われの状態に戻ろうとする姿。
🧠用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
愛欲(カーマ) | 感官の快楽を求める心。特に性欲・物欲・食欲などを指す。 |
園(ヴァナ)・林(アーラマ) | 欲望の繁茂する場。そこに身を置くことは、心の混濁を意味する。 |
束縛(バンダナ) | 欲望や自我への執着による精神的不自由。 |
🪷全体の現代語訳(まとめ)
欲望の世界から抜け出したかに見えたその人は、
修行者たちの道からも身を引き、真に自由になったかのようだった。
けれども、彼は再び、
欲望の森へと走り出していく――
自らの手で、外された縄を拾い上げ、
また元通り、縛られようとしているのだ。
🌱解釈と現代的意義
この節は、「自ら束縛を選び直す人間」の姿を鋭く批判しています。
私たちはしばしば、断ち切ったはずの習慣、逃れたはずの欲望、克服したと思った執着に、
再び自らの足で戻ってしまう。
それは、過去の栄光への依存かもしれないし、
快楽の誘惑かもしれない。あるいは、孤独への恐れかもしれません。
この句は、「自由とは一時の状態ではなく、生涯の姿勢である」と教えてくれます。
一度脱したからといって安心せず、常に「自らの心の方向」を観察する姿勢が必要なのです。
💼ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実務への応用例 |
---|---|
改革後の油断 | 不正慣行や非効率な体質を改善した後、再び旧態依然に戻る企業文化への警鐘。 |
個人の習慣形成 | 悪習を断ち切ったと思っても、環境が変わると再発しやすい。持続的な内省と対策が必要。 |
自律性の喪失 | 権限移譲や裁量を得たにもかかわらず、再び他者依存に戻るようなマネジメント上の退行。 |
再帰的な誘惑 | 「成果が出たからこれでいい」として、短期快楽や表層的戦略に再びとらわれる組織判断の誤り。 |
📝心得まとめ
自由とは、「戻らない」勇気である。
縛りから解かれても、
その縄を自ら拾えば、再び囚われる。真の自由は、過去に別れを告げ、
未来へ向かって心を鍛えることにある。自由は与えられるものではなく、
意志と観察によって守られるものである。
この節は、第二七章「観察」の教えを循環的迷いの克服という視点から締めくくる重要な警句です。
解脱とは一時の到達点ではなく、「戻らない」「見極める」「再び縛られない」――その姿勢の持続こそが本質であることを深く示しています。
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