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天命に生きる者は、何ものにも揺るがない

孔子は、自分の生き方に対する揺るぎない信念と天命への自覚をもっていた。
宋の国で、孔子の活動を妨げようとした軍務大臣・桓魋(かんたい)が命を狙ったとき、
孔子は動じることなくこう言った――
「天が私に道徳を世に広める使命を与えたのであれば、桓魋ごときが私に何をできようか」と。
これは、単なる自己肯定ではなく、自らの道が正しいと確信している者に宿る静かな強さを表している。
恐れや迷いに流されず、自分の役割をまっすぐに果たそうとする心こそが、孔子の“徳”そのものであった。

目次

原文

子曰、天生德於予、桓魋其如予何。

書き下し文

子(し)曰(い)わく、天(てん)、徳(とく)を予(われ)に生(しょう)ぜしならば、桓魋(かんたい)、其(それ)予(われ)を如何(いかん)せん。

現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 「天、徳を予に生ぜしならば」
     → 天(自然の理、天命)が私に徳(道徳的資質)を授けてくれているのならば、
  • 「桓魋、其れ予を如何せん」
     → 桓魋が私に何をしようとも、どうすることもできないだろう。

用語解説

  • 天(てん):ここでは“自然の理”や“天命”を指し、人間の力を超えた道理・正義の源。
  • 徳(とく):孔子の言う「徳」は、人徳・道徳的力量・為政者としての資質など広い意味を持つ。
  • 予(われ):孔子自身のこと。
  • 桓魋(かんたい):魯の武人。孔子の政治改革を妨害しようとした敵対者のひとりとされる。
  • 如何せん(いかんせん):どうしようもない、何もできまい。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう言いました:
「もし天が私に徳を授けているのならば、桓魋が私をどうしようとしても、それは叶わないだろう。」

解釈と現代的意義

この章句は、孔子が自身の使命や信念に天命(運命的確信)を持っていたことを示す言葉です。

  • **「私の徳は天から授かったもの。人の力ではそれを害することはできない」**という、深い自信と使命感
  • 敵対者に屈しない精神は、道義に立つ者としての信念と覚悟の現れ
  • 孔子は、自身の立場が不安定であっても、**「正しさに支えられている限り、恐れるものはない」**という哲学を語っています

ビジネスにおける解釈と適用

■「信じる価値観と原則が、揺るぎない力になる」

──どんなに外的な圧力が強くても、“これは正しい”という内なる信念があれば、耐える力と前に進む力になる。

■「正しい理念には、必ず支援が生まれる」

──“天が授けた徳”とは、人間的な誠実さ・使命感・誇りの象徴。それに共鳴する仲間や支援者は必ず現れる。

■「誠実な者は、恐れるべきではない」

──たとえ上司や競合が敵意を持っても、正道を歩む人は最後に尊敬を集め、道が拓ける。

■「理念と覚悟が、逆境を超える武器」

──圧力や困難に対しては、“自分のやっていることが正しい”という倫理的確信が最大の武器となる。

まとめ

「信念は、恐れを超える──“徳を得し者”は人に屈せず」

この章句は、信念・使命感・逆境耐性・倫理的リーダーシップの柱となる力を伝えています。
とくに、厳しい判断や非難を受けるポジションにいるリーダーにとって、深い示唆を与える名句です。

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