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本来の自己には、真の教養と美が宿っている——それを取り戻すための学び

人の心には、生まれながらにして立派な文章や、美しい旋律のような本質的な教えや芸術性が備わっている。
しかしそれらは、浅薄な知識の断片や、華美な娯楽によって封じ込められ、埋もれてしまっていることが多い。

学び修業しようとする者は、こうした外的な夾雑物や誘惑を払いのけ、心の奥底にある本来の自分の声を掘り起こしていかねばならない。
そうしてこそ、初めて自分という存在の「真の受用」——つまり、何のために生まれ、どう生きるべきかという道が見えてくる。

表層の情報や快楽に流されるのではなく、内にある静かな叡智に耳を傾けよう。
そこには、書物や音楽に勝るとも劣らぬ、あなただけの「真なる章」がある。


原文とふりがな付き引用

人心(じんしん)に一部(いちぶ)の真文章(しんぶんしょう)有(あ)れども、都(すべ)て残編断簡(ざんぺんだんかん)に封錮(ふうこ)し了(お)わる。
一部(いちぶ)の真鼓吹(しんこすい)有(あ)れども、都(すべ)て妖歌艶舞(ようかえんぶ)に湮没(いんぼつ)し了(お)わる。
学(まな)ぶ者(もの)は須(すべか)らく外物(がいぶつ)を掃除(そうじ)して、直(ただ)ちに本来(ほんらい)を覔(もと)むべく、纔(わず)かに個(こ)の真受用(しんじゅよう)有(あ)り。


注釈(簡潔に)

  • 真文章(しんぶんしょう):本来人間に備わっている、内なる美しい教養や徳、真理。
  • 残編断簡(ざんぺんだんかん):断片的な知識、浅い理解。真の学問とはかけ離れた内容。
  • 封錮(ふうこ):封じ込められ、閉ざされること。
  • 妖歌艶舞(ようかえんぶ):派手で一時的な快楽をもたらす音楽や踊り。精神の深層をかき消す刺激。
  • 覔(もと)む:探し求めること。
  • 真受用(しんじゅよう):その人の真の使い道、本来あるべき生き方・役割。

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