MENU

結果に縛られぬ者は、生にも死にも自由である


目次

■引用原文(日本語訳)

「行為の結果(果報)は、好ましくないものと、好ましいものと、両者が混じったものとの三種である。捨離しない人々の場合、それらは死後に存在する。しかし、放擲者(捨離者)の場合には、決して存在しない。」
(バガヴァッド・ギーター 第18章 第12節)


■逐語訳

行為から生じる結果(カルマ・パラ)は、
①好ましくないもの(アシュブハ)
②好ましいもの(シュブハ)
③それらが混ざったもの(ミシュラ)
の三種類がある。

だが、捨離をしない人(ティヤーガを実践しない者)は、
それらの結果を死後も受け続ける。

一方で、**捨離者(ティヤーギー)**にとっては、
それらの結果は決して影響を及ぼさない。


■用語解説

  • 果報(カルマ・パラ):行為の報いとして現れる結果。現世または来世に現れる。
  • 好ましい果報(シュブハ):喜び・成功・誉れなどの正の結果。
  • 好ましくない果報(アシュブハ):失敗・苦痛・不運などの負の結果。
  • 混合された果報(ミシュラ):喜びと苦しみが入り交じる複合的な結果。
  • 捨離者(ティヤーギー):行為に執着せず、結果を手放した心の自由人。

■全体の現代語訳(まとめ)

行為には常に結果が伴い、それは良いもの・悪いもの・両方が混ざったものと分けられる。
普通の人(執着ある人)は、その結果を生きている間だけでなく、死後にも受け続ける。
しかし、捨離を実践する人は、すでに行為への執着を手放しているため、どんな果報も自分に縛りをもたらさない。
すなわち、「自由な魂」として生き、そして死んでいける。


■解釈と現代的意義

この節は、「執着がある限り、人は結果に支配され続ける」という深い真理を語ります。
反対に、行為の責任は果たしつつも、その結果を自分のものとしない人間は、たとえ死後も縛られることはない――これは精神的な究極の自由です。
仕事でも人生でも、「自分が何を得るか」にこだわる限り、心は振り回され続けるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
成果主義の落とし穴成果に執着する人は、成功しても不安が消えず、失敗すれば自己否定に陥る。
失敗への恐怖結果を恐れる人は挑戦を避ける傾向がある。捨離的姿勢があれば、恐れず行動できる。
評価と自由他者評価に依存せず、自らの信念で動く人は、より長期的に信頼され、精神的にも安定する。

■心得まとめ

「結果に生きる者は、結果に縛られる。手放した者にこそ、真の自由が訪れる」
好ましい結果でも、悪い結果でも、それに一喜一憂する限り、心は縛られる。
だが、果報を求めず、ただ「なすべきことをなす」人は、行為の報いからも、死後の束縛からも自由となる。
『ギーター』が示す捨離とは、最終的に「心の永続的な解放」への道である。


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次