N杜は瓶詰食品を製造する会社で、「穴熊社長」と揶揄されるような存在だった。私は社長に現場を回ることを提案し、まずはデパートを視察してもらうことになった。そこで目にしたのは、貧相な商品陳列と不慣れな接客対応という、あまりにも残念な光景だった。
これではいけないと感じた社長は、自ら陳列方法を指導し、時には売り場に立って顧客対応を直接行った。その結果、売上は驚くほどのスピードで伸びていった。
状況が好転すると、デパート側の態度も手のひらを返したように変わり始めた。陳列台の増設を申し出るところもあれば、あるデパートでは売り場の一角をまるごと提供し、自由にやってほしいという提案が持ちかけられるようになった。次なる課題は酒店だ。問屋のセールスマンと同行した社長は、訪問先で次々と予想外の問題に直面することになった。
問屋のセールスマンは、その日に回る予定の店に届ける商品を、次々と無造作に荷台へ放り込んでいく。その様子を見ていると、どうやら勘に頼って数量を決めているらしいことが分かった。
小売店の店頭に車を横付けした問屋のセールスマンは、店主の意向を聞くこともなく、勝手に品物を下ろして納品書を切るだけ。そして、そそくさと次の店へ向かってしまう。
さらに酒店の実態を目の当たりにした社長は、自らの認識の甘さを痛感することになった。小規模な酒店の多くは夫婦で営んでおり、朝になると主人は配達に飛び出していく。残されたおかみさんは、食事の準備や子どもの世話、来店客への応対、注文の電話対応と、文字通りてんてこ舞いの状態だ。社長の頭に描いていた「小売店」という概念とは、現実の姿があまりにもかけ離れていた。
N社長は、それまで問屋も小売店も当然のように自社の商品を「売ってくれている」と信じ込んでいた。しかし、実態を知った今、その考えがいかに甘かったかを痛感した。「全くの認識不足でした」というのが、N社長の正直な感想だった。
N社長は、自社中心の「天動説」を捨て去った。そして、相手の立場に立ち、つまり相手が利益を上げられるよう支援することを自らの使命とする決意を固めた。
そのための手段として、各食料品店に協力を仰ぎ、その店の大切なお得意様を10軒選んでもらうことにした。そして、そのお得意様に対し、食料品店の名前を印字した進物用のおすすめを案内するダイレクトメールを送る施策を実施した。
この施策は大きな成功を収めた。中には、お得意先の会社から大量の中元用の注文を受けた店舗もあり、その店から感謝の電話が入ることさえあった。
食料品店への売上は力強い伸びを見せ、以前は頻繁に発生していた返品も目に見えて減少していった。セールスマンからの報告によれば、多くの店がN社の商品を目立つ場所に陳列するようになっており、商品への関心と信頼が確実に高まっていることがうかがえた。
小売店のセールスマンに対する態度にも変化が現れた。以前の冷淡さは影を潜め、昼食時には座敷に招かれて食事を振る舞われることもあるという。関係性が明らかに改善し、信頼感が深まっている様子がうかがえた。
数か月後、N社長が再び食料品店を訪れると、どの店でも熱烈な歓迎を受けた。その様子に触れた社長は、「少なくとも年に二回は食料品店を回らないといけませんね」と私に語り、現場との関係を大切にする重要性を改めて実感しているようだった。
その年の暮れ、N社長のもとに問屋の社長からウイスキーの瓶が一本、お歳暮として届けられた。これまでには考えられなかったことであり、取引開始以来初めての出来事だった。逆転した立場を象徴するかのようなこの贈り物は、N社長にとって大きな驚きと同時に、これまでの取り組みが確かな成果を上げたことを実感させる出来事だった。
聞けば、その問屋では石油不況の影響で売上がなかなか回復せず苦戦していた中、N社の商品だけが堅調に伸び、売上高のランクが急上昇したという。その成果がN社長自身の「蛇口訪問」によるものであることは明白であり、それに対する感謝の意が、今回の贈り物に込められていたのだ。
N社長の「蛇口作戦」はさらに続く。その一つがデパートで開催される「催事」だ。この催事では、N社長のセンスが存分に発揮され、抜群の演出効果を生む。商品の魅力を最大限に引き出す工夫が施され、来場者の心を掴む仕掛けが光る。その結果、どのデパートでもN社の催事は大歓迎されるようになり、次々と開催のオファーが舞い込む状況となった。
ついに、東京のN社では有名なファストフードチェーンM社の売り場と入れ替わる形で、常設の売り場が設けられるに至った。これはもはや「催事」を超えた展開であり、ここでもN社の商品は高い評価を得て上々の成果を上げている。このN社の劇的な変貌は、ひとえにN社長自身の変化によるものだ。そして、そのN社長を変えたのは、何よりも自ら現場を訪れ、直接状況を見て、行動を起こした「蛇口訪問」そのものだったのである。
「社長は蛇口を廻れ」という方針のもと、N社の社長は、従来の受動的な販売体制を見直し、自ら販売現場に赴き、小売店やデパート、問屋などの実態を直視することで、大きな販売促進の効果を得ることができました。この方針から学べる主なポイントを以下にまとめます。
1. 現場の理解と再認識
- 実態を知る重要性: N社長は現場の実態を自ら確認し、問屋や小売店がただ商品を仕入れているだけで、積極的に販売に関与していないことを目の当たりにしました。現場の実情や小売店の事情に配慮することで、より効果的な販売促進方法を見出すきっかけとなりました。
- 社長の実地訪問の効果: 現場を訪れ、店舗ごとに異なる問題やニーズを発見することで、社長自らが「何をすべきか」を認識し、現実に基づく改善策を取るようになりました。
2. 顧客の立場に立ったサポート
- 小売店の支援: 小売店が利用しやすいよう、店舗の大切な顧客に向けたダイレクトメールの送付や、陳列法の改善を手伝うことで、単なる卸売りにとどまらない「小売店のパートナー」としての立場を確立しました。
- デパートの催事支援: 社長が自ら参加し、魅力的な売場演出を提供することで、デパート側からも評価を得て売場の拡大を実現。結果として、ブランドイメージの向上にもつながり、常設売場へと展開できるようになりました。
3. 社長の姿勢が従業員と問屋を動かす
- 問屋との関係改善: 社長自らの行動によって、問屋や小売店との信頼関係が深まり、今までにないほどの協力を得ることができました。取引先がN社の商品に力を入れるようになり、売上も向上しました。
- 社内と現場の一体化: 社長が積極的に現場で働く姿勢は従業員にも影響を与え、チーム全体の販売意識が高まりました。
4. 蛇口作戦の真髄
- 「蛇口を廻る」とは、商品が消費者に届くまでの最後の接点(蛇口)をしっかりと見て、自らの目で確認し、支援しながら販売促進を図ることを意味します。N社長は自社商品の「蛇口」に当たる場所を廻り、現場の人々をサポートすることで、取引先からも消費者からも支持され、成果を生み出しました。
結論
N社の成功は、現場の実情を理解し、社長自らが積極的に動いて「蛇口」を回ることで得られました。
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