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心の動揺は、魂の真実に触れた証


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■引用原文(日本語訳)

「私の四肢は沈みこみ、口は干涸び、
私の身体は震え、総毛立つ。」
―『バガヴァッド・ギーター』第1章 第29節


■逐語訳(一文ずつ)

  • 「私の四肢は力を失い、重く沈んでいく。
  • 口は乾き、言葉が出ない。
  • 体全体が震え、
  • 体毛が逆立ち、鳥肌が立っている。」

■用語解説

  • 四肢が沈む(ガートラーニ・セダンティ):全身の力が抜け、立っていられない状態。精神的な衝撃が身体的無力化を招く。
  • 口が干涸びる(ムクハン・チャ・パリシュュヤティ):強い緊張・恐怖・動揺により、唾液が止まり、話すことも困難になる。
  • 震え(トレムブテ):不安・恐怖・動揺によって制御できなくなった状態。
  • 総毛立つ(ローマ・ハルシャ):強烈な感情(畏怖・感動・恐れ・真実の直視)によって、体毛が逆立つ生理反応。

■全体の現代語訳(まとめ)

アルジュナは、親しい者たちを敵として見る現実に心が打ちのめされ、全身の力が抜け、言葉が出ず、体は震え、鳥肌が立つ。彼の内面で起こるこの動揺は、単なる不安や恐怖ではなく、「深い愛情と正義感との狭間で苦悩する魂の揺れ」そのものである。


■解釈と現代的意義

この節では、「心の痛み」が身体にどう現れるかが描かれています。アルジュナの反応は、“弱さ”ではなく“深さ”の表現です。真剣に生きようとする者は、正義と愛、義務と情の対立において、心だけでなく体までもが反応するものです。

現代社会でも、重い決断に直面したとき、私たちの身体は正直に反応します。会議前に動悸が激しくなる、重大な報告の直前に手が震える――それらはすべて、心が真剣である証。だからこそ、その「震え」を否定せず、尊重し、乗り越える姿勢が求められるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
心理的安全性の尊重チームや個人が「震えるような場面」に直面することは避けられない。そうした反応を否定せず、正しく受け止める環境が必要。
リーダーの覚悟判断の場において、恐れや動揺を感じることは当然。むしろ、感じない方が危ういこともある。
身体の反応を信号と捉えるストレスや不安は「避けるべきもの」ではなく、「今こそ誠実な対処が求められている」というサイン。
感情のマネジメント感情を抑え込むのではなく、「震えながらも前へ出る」姿勢が信頼と共感を生む。

■心得まとめ

「震えは、真実に触れた者の証である」
アルジュナの震えは、弱さではない。それは、心ある者が重大な選択の前に感じる“誠実の震え”である。身体が教えてくれる違和感や苦しみを無視せず、正面から向き合う――そこにこそ、真の強さが宿る。


次の第30節では、さらにアルジュナの動揺が増し、「弓を持てなくなる」ほどの状態に陥っていきます。

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