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人の思惑を超えて、すべては天のなすところ

― 運命にゆだね、為すべきことを為して待つ

孟子に仕える高弟・**楽正子(がくせいし)**は、魯の平公に働きかけ、恩師・孟子と会見させようと奔走した。
平公もその気になり、実際に出向くつもりで馬車の準備まで整えていた――
しかし、取り巻きの臧倉(ぞうそう)が横から口を挟み、結局平公は会いに来なかった。

楽正子はその経緯を孟子に伝え、無念の思いを告げる。

「私は君にお会いになるよう進言し、君もその気になっていたのです。
ところが、臧倉という者が余計なことを言い、君は来なくなってしまいました」

孟子はそれに対して、落ち着いた様子でこう語る。

「人が行くときには、そうさせる“何か”があり、
人が止まるときには、それを止める“何か”がある。
行くも止まるも、人の力でどうこうできるものではない。
私が魯の君に会えなかったのは、天の意志によるものである。
臧氏の子(臧倉)ごときが、どうして私を君に会わせまいとできようか」

ここで孟子は、臧倉を責めるでもなく、まして自分の力不足を悔いることもない。
**「自分がやるべきことはやった。あとは天命にまかせるのみ」**という、
まさに長年の遊説の旅を締めくくるにふさわしい、達観した境地が語られている。

孟子が十五年にわたって述べ続けたのは「仁政」と「徳の力による統治」だった。
その思想が受け入れられるかどうかは人の力ではどうにもできない。
しかし、誠を尽くして行動した者には、天が応える――
それが孟子の確信であった。


引用(ふりがな付き)

「楽正子(がくせいし)、孟子(もうし)に見(まみ)えて曰(い)く、
克(こく)、君(きみ)に告(つ)ぐ。君、為(ため)に来(きた)りて見(み)んとす。
嬖人(へいじん)に臧倉(ぞうそう)なる者(もの)有(あ)り、君を沮(はば)む。
君、是(こ)れを以(もっ)て来(きた)ることを果(は)たさざるなり。

孟子曰(い)く、行(ゆ)くも之(これ)を使(つか)むる或(もの)有(あ)り。
止(とど)まるも之を尼(とど)むる或り。行止(こうし)は人(ひと)の能(よ)くする所(ところ)に非(あら)ざるなり。

吾(われ)の魯侯(ろこう)に遇(あ)わざるは、天(てん)なり
臧氏(ぞうし)の子(こ)、焉(いず)くんぞ能(よ)く予(われ)をして遇わざらしめんや」


注釈

  • 行或使之、止或尼之…「行くにも止まるにも、それをさせる何かがある」。人間の意志を超えるものの働きを示す表現。
  • 天なり…「天命」「天の判断」。孟子思想の核心にある概念で、理不尽を超えて世界を成り立たせる正しき秩序。
  • 臧氏の子…臧倉のことをやや軽蔑して呼んでいる。君子と小人の対比が暗示されている。

パーマリンク案(英語スラッグ)

  • trust-in-heaven(天を信じよ)
  • do-your-part-leave-the-rest(為すべきを尽くし、あとは委ねよ)
  • heaven-over-hindrance(妨害より強い天命)

この章は、孟子の15年にわたる遊説の最後を飾る、**「徳に生きた者の覚悟と安らぎ」**を映す場面です。
どれだけ真理を語っても受け入れられないこともある――それでも、人は諦めず、志をまっとうする。
孟子の信念の総決算ともいえるこの言葉は、今を生きる私たちにも大きな示唆を与えます。

1. 原文

樂正子、見孟子曰、克、告於君、君為來見也。
嬖人臧倉者、沮君、君是以不果來也。
曰、行或使之、止或尼之、行止非人之所能也。
吾之不遇魯侯、天也。臧氏之子、焉能使予不遇哉。


2. 書き下し文

楽正子(がくせいし)、孟子に見えて曰く、
「克(こく)、君に告ぐ。君、来りて子に見えんと為すなり。
嬖人(へいじん)に臧倉(ぞうそう)なる者有りて、君を沮(はば)む。
君、是を以て来たるを果たさざるなり。」

孟子曰く、
「行くも或いは之を使(つか)わし、止まるも或いは之を尼(とど)む。
行止(こうし)は人の能くする所に非ざるなり。
吾れ魯侯(ろこう)に遇わざるは、天なり。
臧氏の子、焉(いずく)んぞ能く予をして遇わざらしめんや。」


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 楽正子は孟子に会って言った。
    「克(私)は君主にお伝えしました。君はあなたに会いに来ようとしたのです。
    しかし、寵愛を受ける臧倉という者がそれを妨げました。
    そのため、君は来ることを果たせませんでした。」
  • 孟子は答えた。
    「人が行くのも、あるいは行かせる者があり、
    人が止まるのも、あるいは止める者がある。
    行くか留まるかは、人の力でどうにかできるものではない。
    私が魯の君主に遇わなかったのは、天命である。
    臧倉ごときが、どうして私の運命を妨げられようか。」

4. 用語解説

用語解説
樂正子(がくせいし)孟子の弟子。魯の政治にも関わる。
克(こく)樂正子の名または自称。自分を指す言葉。
嬖人(へいじん)君主に寵愛されている側近・側用人。
臧倉(ぞうそう)魯の平公に近い人物。孟子に会わせぬよう働いた者。
行止(こうし)行く・止まること。転じて「進退」「成否」を意味する。
遇う(あう)重要人物に面会する、または高位に推挙されることを指す。
天(てん)天命。人知や努力を超えた運命・自然の法則の象徴。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

楽正子が孟子に「君主があなたに会おうとしたが、側近の臧倉がそれを妨げた」と伝えると、孟子は「進退や人との出会いは人の力では決められない。それは天命である。臧倉ごときに、私の運命を変えられるものか」と答えた。


6. 解釈と現代的意義

✅ 「運命に対する覚悟と尊厳」

孟子は、自らが政治的に評価されなかった理由を臧倉の妨害とは見なさず、それもまた天命だと受け止めている。
他人のせいにせず、むしろ「真に価値ある者は、運命によって必ずしかるべき場に導かれる」と信じている姿勢が貫かれている。

✅ 「器の小ささを見極める視点」

王が小物(臧倉)によって影響される程度の君主であるなら、孟子にとっては会うに値しない。
指導者としての力量を見極める慧眼を、孟子は静かに表現している。

✅ 「責任転嫁せず、因果を受け入れる哲学」

現代でも「○○が邪魔したからできなかった」「上司が評価しないから仕方ない」と環境や他人のせいにしがちだが、孟子の視座は「最終的には天が決める。自分の価値があれば、いつか適切な機会が与えられる」と自らの道を信じることである。


7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)

💡 1. 成功や機会の有無を“天命”と受け入れる強さ

昇進や評価が思うように得られないときでも、外部要因に囚われず、冷静に「機が熟していないだけ」と考える心の余裕が、長期的な信頼を生む。

💡 2. 人事や政治において他者に動かされない自己確立

職場や組織での評価が不公平に感じられるとき、他人の妨害に一喜一憂するのではなく、淡々と自分の価値を蓄積する姿勢が重要。

💡 3. 「今ではない」と判断する冷静な決断力

すぐに結果を求めず、無理にことを運ばず、時機を待つ。リーダーは往々にして“待つ力”が試される場面がある。


8. ビジネス用の心得タイトル

「機を天に任せ、実を内に積め」


このように孟子の語録は、現代のマネジメントや自己啓発、リーダーシップの根幹に通じる洞察を多く含んでいます。

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