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真の才知は、常識に宿る

人が世において真に役立つとは、
単に知識が多いとか、才覚があるということではない。
公の務めにあっても、
私の生活においても、
真に求められる力は、常識である。

常識とは、何も平凡を意味せぬ。
それは、理非曲直を弁え、
物事の順序を正しく理解し、
人と世に調和して行動する力
である。

難しい理論を振りかざしても、
日常に活かせぬなら、それは空論に過ぎぬ。
世に言う「才知」もまた、
常識という根を持たぬならば、
やがて己を誤り、人を惑わす。

本当の意味で「賢い人」とは、
人の話を素直に聞き、
時に応じて適切に判断し、
場を和し、事を動かす人である。
それはまさに、常識が磨かれた人である。

学問を修めることは尊い。
しかし、それを世に活かし、
人と協調して善を為すには、常識が要る。

真の才知とは、
常識という大地に根を下ろし、
そこから育つものである。

人に信頼され、世に必要とされる者たらんと欲すれば、
まず己の常識を育てよ。
それが、公においても、私においても、
決して揺るがぬ力となる。

○人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にしていわゆる真才真智というのは、多くは常識の発達にあるといっても誤りないと思うのである。

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