孔子は、「周の泰伯(たいはく)は、まさに“至徳(しとく)”の体現者だ」と評した。
泰伯は本来、王位を継ぐべき長男だったが、父の意志を尊重し、自らその座を辞退した。
しかもそれを誇示せず、世の中に知られぬよう慎んだ。
人知れず行われたその譲りの徳を、孔子は深く讃えている。
他人からの評価や称賛を求めず、ただ誠実に道を貫く――
それこそが、最も高い徳のかたちである。
原文と読み下し
子曰(しのたま)わく、泰伯(たいはく)は其(そ)れ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。三(み)たび天下(てんか)を以(もっ)て譲(ゆず)る。民(たみ)、得(え)て称(しょう)する無し。
孔子が言った。「泰伯はまさに最高の徳を備えた人物といえる。三たび天下を辞退して譲ったが、人々はそれを知って賞賛することもなかった」。
注釈
- 泰伯(たいはく):周の文王の伯父。王位継承権を持つ長兄だったが、末弟への継承を実現させるため、自ら身を引いた。
- 至徳(しとく):最もすぐれた徳。人の上に立つ者としての理想の人格。
- 三たび譲る:「三回にわけて譲った」とも、「固く、何度も辞退した」とも解釈できる。いずれにせよ、その強い決意を示す。
- 民、得て称する無し:人々はその事実を知らず、称賛する者もいなかったという意味。つまり「見返りを求めない徳」を指す。
原文:
子曰、泰伯其可謂至德也已矣、三以天下讓、民無得而稱焉。
書き下し文:
子(し)曰(いわ)く、泰伯(たいはく)は其(そ)れ至徳(しとく)と謂(い)うべきのみ。三(みたび)天下(てんか)を以(もっ)て譲(ゆず)る。民(たみ)、得(え)て称(しょう)する無し。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「泰伯は其れ至徳と謂うべきのみ」
→ 「泰伯という人物は、まさしく“至高の徳”を備えた者と言うほかない」 - 「三たび天下を以て譲る」
→ 「三度も天下の王位を他人に譲った」 - 「民、得て称する無し」
→ 「人々は、その徳を語り尽くすことができなかった(褒める言葉が見つからないほどであった)」
用語解説:
- 泰伯(たいはく):周の始祖である古代中国の王族。弟の季歴の子(後の文王)に王位を譲るため、自ら退いて呉に移住し、王位継承を三度も辞退したとされる伝説的人物。
- 至徳(しとく):至高の徳。あらゆる徳の中でも頂点にある品性・人格を指す。
- 天下(てんか)を以て譲る:支配権・王位を弟や他者に自ら進んで譲る行為。
- 得て称する無し(えてしょうするなし):褒め言葉さえも追いつかない。あまりに徳が高すぎて表現のしようがない。
全体の現代語訳(まとめ):
孔子はこう言った:
「泰伯は、まさに“この上ない徳の持ち主”と言うしかない。彼は三度にわたって王位を辞退して弟に譲った。その徳の高さは、人々の言葉では言い尽くせないほどであった。」
解釈と現代的意義:
この章句は、**「利を捨てて義を選ぶ精神」**の象徴として泰伯を称えたものです。
泰伯は、自らの立場や権力への執着を一切持たず、**「国家の理想と血縁の仁愛」**を両立させる選択をしました。孔子は彼の行動を、**言葉で言い尽くせないほどの“至徳”**であると最大限に評価しています。
つまり、地位や名誉よりも、「道にかなう行動」「自己犠牲」「倫理的判断」が人間としての真価であるという強いメッセージを含んでいます。
ビジネスにおける解釈と適用:
1. 「ポジションに固執しないリーダーが、真に尊敬される」
泰伯のように、「自分が主役でなくてもよい」という度量と謙虚さを持つリーダーは、組織全体の信頼と調和を育てる。
後進に譲る、チームに任せる、権限を分けることは、徳を示す行為である。
2. 「成果を譲り、場を譲ることが、組織に貢献する勇気」
プロジェクトや成功を独り占めせず、後進や周囲と共有する姿勢は、職場における“至徳”に通ずる。
評価より貢献を重んじる人が、最終的にもっとも信頼される存在となる。
3. 「称されることより、称されざる行動を」
最上の行動は、賞賛や評価の対象になることすら超える。
見返りや称賛を期待せず、「やるべきことをやる」姿勢は、職業人としての本質を示す。
ビジネス用心得タイトル:
「譲る力が徳を生む──“見返りを求めぬ行動”が信頼の礎」
この章句は、現代においても「権威への執着を超える道徳的行動」「無私の精神」「徳による統治」の理想を私たちに示しています。
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