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偏らず、過不足なく――中庸こそが最上の徳である

孔子は、人間としての最も理想的な在り方について、こう語った。

中庸(ちゅうよう)の徳――それは過不足なく、極端に走らないバランスの取れた生き方であり、
まさに“至上の徳”といえる。
しかし、それを保ち続けられる人は少なくなり、久しく絶えてしまっているように思える。

「中庸」とは、単なる“妥協”や“中立”ではない。
むしろ、物事を正しく見極め、偏らず、穏やかに、かつ的確に行動する精神の成熟のかたちである。

孔子はこの“中庸の徳”を、至極(しごく)――すなわち最も高く貴い徳としながら、
それが長らく実践されていないことを嘆いている。

極端な言動が注目されやすい世の中だからこそ、本当の強さとは、冷静に、柔軟に、そして一貫して自らを保てることなのだ。


ふりがな付き原文

子(し)曰(いわ)く、
中庸(ちゅうよう)の徳(とく)たるや、其(そ)れ至(いた)れるかな。
民(たみ)、鮮(すく)なきこと久(ひさ)し。


注釈

  • 中庸(ちゅうよう):過不足なく、偏りのない精神。孔子の理想とする「徳」の中でも最も高く位置づけられる。
  • 至れる(いたれる):この上なく高い、完成されたという意味。
  • 鮮(すく)なし):ほとんどいない、まれである。
  • 久し(ひさし):長いあいだ続いている状態を表す。ここでは「中庸を実践する人が長らくいない」という嘆き。

1. 原文

子曰、中庸之爲德也、其至矣乎、民鮮久矣。


2. 書き下し文

子(し)曰(いわ)く、
中庸(ちゅうよう)の徳たるや、其(そ)れ至(いた)れるかな。
民(たみ)鮮(すく)なきこと久し。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳)

  • 子曰く、中庸の徳たるや、其れ至れるかな。
     → 孔子は言った。「中庸という徳は、なんと至高のものであることか。」
  • 民鮮きこと久し。
     → 「しかし、それを実践する民(=人々)は久しく少ない。」

4. 用語解説

  • 中庸(ちゅうよう):儒家思想における最重要概念の一つ。「過不足なく、偏りなく、常に正しい中道を保つこと」。
  • 為徳(とくとなす):徳の内容とする、実践的徳目として捉える。
  • 至(いた)る:究極・完成された状態を表す。「至れるかな」=非常に優れている。
  • 鮮(すく)なし):少ない、まれである。
  • :一般の人々。ここでは人類全般に近い。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう語った:
「中庸という徳は、まさに最高にして完成された徳である。
だが、それを実際に行う人は、古くから本当に少ない。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、**「中庸=最も理想的で難しい徳」**であることを語っています。

  • 中庸は「バランス感覚」や「過激でないこと」以上に、高い知性と自律、そして洞察力を要する徳目
  • それはただ「真ん中」であることではなく、状況に応じた“ちょうどよさ”を保ち続ける“動的な均衡”の実践
  • 孔子はその高難度を理解した上で、それを理想としつつも、それを保てる人が非常に稀であることに嘆きと敬意を込めています

7. ビジネスにおける解釈と適用

● 「極端に走らず、偏らず、全体を見渡して判断する力=中庸力」

  • ビジネスにおいて中庸は、「強すぎないが弱くない」「速すぎず遅くない」「厳しすぎず甘すぎない」判断や対応のこと。
  • これは単なる“平均”ではなく、高いバランス感覚と状況判断の力が必要な“経営的徳”

● 「中庸を実践するリーダーこそ、長期的に信頼される」

  • 一方に傾かず、個別利害を超えて公平に判断し続けるリーダーこそが、組織文化を穏やかに安定させる
  • こうした人物は「目立たない」が、「崩れない」──持続可能なリーダー像

● 「中庸の困難=“極端な意見”がもてはやされる時代の逆説」

  • 現代は「過激さ」や「瞬間的バズ」が注目されやすいが、孔子は**“まっすぐで地味な王道”が最も難しく尊い**と説いている。
  • ビジネスでも、短期的インパクトよりも、中庸=持続・信頼・本質に価値を見出す感性が重要。

8. ビジネス用の心得タイトル付き

「派手さより“崩れぬ軸”──中庸こそ最上のリーダーシップ」


この章句は、極端に走らず、偏らず、常に本質を見極め続ける中庸の力が、いかに難しく、いかに尊いかを孔子が深く表現したものです。
経営判断、リーダー評価、組織文化の指針において、“中庸の哲学”は極めて現代的な意味を持ちます。

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