孟子はこの章で、**「仁(じん)は不仁(ふじん)に必ず勝つ」という強い信念を語ります。
ただしそれは、本当に十分な仁を持ち、継続して実践した場合に限るとし、
中途半端な仁で結果を焦る者に対して、「それでは火に水を一滴垂らすようなものだ」**と厳しく戒めます。
仁は火に対する水のように、必ず勝る本質を持つ
孟子は断言します:
「仁が不仁に勝つのは、水が火に勝つのと同じで、自然の道理である」
この比喩は非常に強いもので、水と火の性質の違いを使って、
- 仁=調和・潤い・命を育てる力
- 不仁=破壊・暴力・対立の力
と位置づけています。つまり、本質的に「仁」は「不仁」よりも優れているという前提に立っています。
なぜ「仁が勝たない」と感じるのか?――原因は“量の不足”
ところが、多くの人はこう言うと孟子は指摘します:
「仁を尽くしても、不仁に勝てないではないか」
これに対して孟子は、
「それはちょうど、一杯の水で車一台分の薪に燃え盛る火を消そうとするようなものだ」
と譬えます。
つまり:
- 仁の“量”が足りていない
- それを“継続して注ぎ続ける努力”が足りていない
というだけの話なのです。
勝てないと嘆く者は、仁を疑い、不仁に加担することになる
孟子はさらに厳しいことを言います:
「そうして“水は火に勝たない”と決めつける者は、
不仁に加担するのと同じであり、やがてわずかにあった仁さえ失うことになる」
ここでは、“仁の力”そのものではなく、
仁を持つ者自身の姿勢・覚悟・行動の量が問われているのです。
出典原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
仁の不仁に勝つは、猶(なお)水の火に勝つがごとし。
今の仁を為す者は、猶お一杯の水を以(もっ)て、一車(いっしゃ)の薪の火を救うがごときなり。
熄(き)えざれば、則ち之を水は火に勝たずと謂う。
此れまた、不仁に与(くみ)すること甚だしき者なり。
亦(また)終(つい)に必ず亡(ほろ)ぼさんのみ。
注釈
- 仁(じん):他者への思いやり、調和の徳。孟子が最も重んじる徳目の一つ。
- 不仁(ふじん):仁に反するもの。暴力・欲望・利己など。
- 熄まず:火が消えない。
- 救う:ここでは“火を消す”という意味の「救火(きゅうか)」。
- 与する:味方する、助ける。ここでは“不仁に与する=不義に加担する”ことを指す。
パーマリンク候補(英語スラッグ)
true-virtue-always-wins
(真の徳は常に勝つ)
その他の候補:
- patience-of-kindness(仁の勝利には時間が必要)
- don’t-blame-water-blame-the-cup(水を責めるな、器が小さいのだ)
- one-cup-can’t-stop-a-blaze(一杯の水では火事は消えない)
現代への教訓
この章は、「なぜ“善”が“悪”に勝てないように見えるのか」という問いに対し、
**「そもそも善の量が足りないからだ」**と喝破する、厳しくも誠実なメッセージです。
孟子はここで、“仁”が敗れるのではなく、“仁を行う人間があきらめている”のだと問題の本質を突きます。
これは現代の社会活動、道徳教育、リーダーシップなどにも通じる根本的な洞察です。
『孟子』 告子章句より
「仁の力と、無力な善意の危うさ」
1. 原文
孟子曰、仁之勝不仁也、猶水勝火也。
今之爲仁者、猶以一杯水、救一車薪之火也。
不熄、則謂之水不能勝火。
此又與於不仁之甚者也。
亦終必亡而已矣。
2. 書き下し文
孟子曰く、
「仁の不仁に勝つは、猶お水の火に勝つがごとし。
今の仁を為す者は、猶お一杯の水を以て、一車の薪に燃える火を救わんとするがごときなり。
それ熄(き)えざれば、すなわち『水は火に勝てず』と謂う。
これまた、不仁に与する甚だしき者なり。
終にはまた必ず亡ぶるのみ。」
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)
- 孟子は言った:
「仁が不仁に勝るのは、水が火に勝つようなものである。」
- 「ところが、現代において仁を行おうとする者の多くは、
一杯の水で一車分の薪に燃え上がる火を消そうとするようなものである。」 - 「そして火が消えなければ『水は火に勝てない』と言ってしまう。」
- 「それは実は、不仁(非道)に味方することと同じであり、非常に悪いことだ。」
- 「そしてそうした態度は、最終的には必ず自らを滅ぼすことになる。」
4. 用語解説
用語 | 意味 |
---|---|
仁(じん) | 思いやり、道徳的な善 |
不仁 | 仁の対義。冷酷さ、非道徳的行為 |
熄(き)える | 火が消えること |
一杯水 | ごくわずかな善意や行動の象徴 |
一車薪(いっしゃしん) | 大規模な悪や問題の象徴 |
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子は、善(仁)は本来、悪(不仁)に勝る力があると説いています。
しかし、現代の多くの人は、わずかな努力や形式的な善行(=一杯の水)だけで
深刻な問題や不正義(=一車の薪の火)を解決しようとする。
そして、解決できないと「善には力がない」と結論づける。
だがそれは大きな誤りであり、むしろ不正義を助けることに加担しているのだ、と孟子は警告します。
6. 解釈と現代的意義
✅ 善の無力さを嘆く前に「本気の善」を行っているか?
孟子は、「善に勝ち目がない」と言う前に、
**あなたは本当に十分な善を尽くしたのか?**と問いかけています。
わずかな正義感や曖昧な行動で大きな問題を解決できないのは当然であり、
それを「善の限界」と結論づけることは、むしろ悪の擁護である、という強い警告です。
✅ 不作為や軽い正義感は、結果的に「悪に加担する」
「やれることはやった」と言って退くことが、
実は不正義の存続を助ける行為になっていないか。
本当に悪に対抗したいのなら、全力を尽くして「大きな水」で消しに行くべきだというメッセージです。
7. ビジネスにおける解釈と適用
🔷 「改善提案だけ」で終わるなら、それは責任を果たしていない
- 例えば、不正や非効率を見過ごして「軽く提案したが変わらなかった」と諦めるのは、「一杯の水を投げた」だけ。
- 組織やリーダーが行うべきは、仕組みの変革や本質的な行動という「大きな水の注入」。
🔷 部分的な努力では本質的な課題に勝てない
- ブランドの信頼回復、組織文化の改善などには、“全社的かつ継続的”な取り組みが必要。
- 部分最適な対応ではなく、構造全体の変革が必要だという教訓。
8. ビジネス用の心得タイトル
「一杯の善では、炎は消えぬ──本気の行動こそ真の正義」
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