内から得た道は、あらゆる問題への答えとなる
孟子は、「君子(くんし)」すなわち高徳な人物が、人生をかけて「道(みち)」を探求する理由を語る。
それは、単に知識としての「道」を知るのではなく、自らの内から深く「得る」=自得(じとく)するためである。
自得した「道」は、心の中に安定をもたらす。
安定していれば、それを行動のよりどころとして深く根を張らせることができる。
そうして深く根ざした「道」があれば、どんな困難や変化(=左右からの問題)にも、常に根源に立ち返って判断し、道を外さずに対応できる。
だからこそ、君子はまず「自得すること」を何よりも求めるのである。
外から借りてきた知識ではなく、自らの心でつかみ取った真理こそが、すべての行動の基盤となる。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
君子(くんし)の深(ふか)く之(これ)に造(いた)るに道(みち)を以(も)てするは、
其(そ)の之(これ)を自得(じとく)せんことを欲(ほっ)すればなり。
之(これ)を自得(じとく)すれば、則(すなわ)ち之(これ)に居(お)ること安(やす)し。
之に居ること安ければ、則ち之に資(たす)くること深(ふか)し。
之に資くること深ければ、則ち之を左右(さゆう)に取りて、其の原(げん)に逢(あ)う。
故(ゆえ)に君子は其の之を自得せんことを欲するなり。
注釈
- 道(みち):道徳的真理、人生の原理。自己を律する根本。
- 自得(じとく):外から与えられるのではなく、自分自身で深く体得すること。
- 之に居ること安し:道に落ち着き、ぶれない精神的安定を得る。
- 資る(たすくる):行動や判断の拠り所とする。
- 左右に取りて、其の原に逢う:あらゆる方向から来る問題にも、その根源の「道」に照らして正しく対処できる。
※この一節が後に「左右逢原(さゆうほうげん)」という四字熟語の由来となる。
心得の要点
- 外からの知識ではなく、「自分の内から掴んだ道」こそが本物。
- 自得すれば心が安定し、行動の根が深くなる。
- 根が深ければ、どんな局面でも道を見失わない。
- 君子とは、常に「内なる確信」を求める人である。
パーマリンク案(スラッグ)
- true-understanding-is-self-won(真の理解は自ら得るもの)
- rooted-in-principle(道を根とせよ)
- self-mastery-through-truth(真理の自得による自己統御)
この章は、学びの本質と自己修養の在り方を深く問いかけてきます。「何を知っているか」よりも、「どうやってそれを得たか」が、人生の土台を左右する――それが孟子の伝えたいことです。
原文:
孟子曰:
君子深之以道、欲其自得之也。
自得之、則居之安;居之安、則資之深;資之深、則取之左右、逢其原。
故君子欲其自得之也。
書き下し文:
孟子(もうし)曰(いわ)く、
君子(くんし)の深く之(これ)に造(いた)るに道(みち)を以(もっ)てするは、其(そ)の之を自(みずか)ら得(う)るを欲(ほっ)するなり。
之を自得(じとく)すれば、則(すなわ)ち之に居(お)ること安(やす)し。
之に居ること安ければ、則ち之に資(と)ること深し。
之に資ること深ければ、則ち之を左右に取りて、其の原(もと)に逢(あ)う。
故(ゆえ)に君子は其の之を自得せんことを欲するなり。
現代語訳(逐語/一文ずつ訳):
- 「君子の深く之に造るに道を以てするは、其の之を自ら得るを欲するなり」
→ 君子(人格者)が何かを深く学ぶとき、必ず“道(=正しい道理)”によって導くのは、相手が自分の力で本質を得ることを望むからである。 - 「之を自得すれば、則ち之に居ること安し」
→ 自分で得た知や徳であれば、それに基づいて自然に、安心して生きることができる。 - 「之に居ること安ければ、則ち之に資ること深し」
→ 安定して身についたものは、より深く応用し、活用することができる。 - 「之に資ること深ければ、則ち之を左右に取りて、其の原に逢う」
→ 深く身についたものは、自在に使いこなせるようになり、やがてその本質的な原理にまでたどり着く。 - 「故に君子は其の之を自得せんことを欲するなり」
→ だからこそ、君子は人に物を教えるとき、自分自身の力で理解・体得することを重視するのである。
用語解説:
- 君子(くんし):人格者・理想的な指導者・道を追求する者。
- 道(みち):倫理的な原理、道理、正しい行い。
- 自得(じとく):自分の力で会得すること。他人からの強制ではなく、主体的な理解。
- 居ること安し:安心して身につけていること。自然体の境地。
- 資る(とる)こと深し:応用・活用する力が深まること。
- 取之左右(これをさゆうにとる):自在に扱う、状況に応じて柔軟に使いこなす。
- 逢其原(そのもとにあう):根本的な原理にたどり着く、本質を理解すること。
全体の現代語訳(まとめ):
孟子はこう言った:
「人格者が人を導くとき、深く教え込むのではなく、道理に基づいて教えるのは、
相手が自分の力でそれを理解し、体得してほしいと願うからである。
自分で得た知識や信念であれば、それは安心して身につくものとなり、
その安心が深まれば、より柔軟に応用できるようになる。
そして最終的には、その本質・根源にまでたどり着くことができる。
だからこそ、君子は相手が“自得”することを最も望むのだ。」
解釈と現代的意義:
この章句の中心にあるのは、孟子の教育観・リーダー観です。
孟子は、「教える者」は“与える”のではなく、“導く”ことを重視し、
学ぶ者が自分で悟る=自得することを最も尊重すべきだと説いています。
人から与えられた知識は、表面的・一時的なものであり、
自ら理解し、納得し、使いこなせるようになってこそ、
深く身に付き、自由自在に応用できる力(=知恵)となるのです。
ビジネスにおける解釈と適用:
- 「教えることは“教えきらないこと”──自得を促す仕掛けを」
部下や新人教育において、すべてを指示・伝達するのではなく、
“考えさせ、自ら気づかせる”ことが真の教育となる。 - 「マニュアルではなく“原理”を掴ませる指導が、応用力を育てる」
手順だけ教えても、その応用は利かない。
「なぜそれをするのか」=原理に気づかせることが、成長の鍵。 - 「自得は“納得感”と“腹落ち”を生む。腹落ちした知識は崩れない」
会議での決定や方針説明でも、“理解させる”のではなく“理解される”ように促すことが、共感と行動を生む。
ビジネス用心得タイトル:
「“教える”から“気づかせる”へ──自得こそ、知を活かす力となる」
この章句は、教育・研修設計、マネジメント、人材育成、ナレッジマネジメントの観点で、非常に示唆に富んだ内容です。
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