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世間の目より、自らの良心と天に恥じぬ行いを

孔子が、当時「品行がよくない」と評判のあった衛国の夫人・南子(なんし)と会見したときのこと。
このことを聞いた弟子の子路(しろ)は、孔子の行動を強く心配し、不快にすら思った。

しかし、孔子はこう誓った。

もし私の行いが不正であれば、天がそれを厭い、私を見捨てるであろう。
私は、天に背くようなことはしていない。だから安心せよ。

ここで孔子が示したのは、「人の噂」ではなく、「自分の内なる誠」と「天=道義」を基準にする」という生き方である。

世の中には、誤解や偏見、噂話がつきものである。
しかし、行動の正しさは、他人の評価ではなく、自分の誠実さと真意に根ざすべきだ。

孔子は、自らの行動が真に公正であると信じるならば、どのような非難も恐れず、
**「天に誓っても恥じないかどうか」**を最終的な判断基準とした。

これは、現代においても非常に重要な指針であり、
**“評判”に振り回されるのではなく、“信念”に従って行動せよ”**という強いメッセージである。


ふりがな付き原文

子(し)、南子(なんし)を見(み)る。
子路(しろ)、説(よろこ)ばず。
夫子(ふうし)、これに矢(ちか)いて曰(いわ)く、
予(われ)が否(あ)しとする所の者は、天(てん)これを厭(いと)わん。
天これを厭わん。


注釈

  • 南子(なんし):衛の霊公の夫人。美貌の評判がある一方で、奔放な私生活でも知られていた。
  • 子路(しろ):孔子の弟子。実直で情熱的な性格で、師の品格を強く気にした。
  • 矢(ちかう):ここでは「誓う」こと。矢を折って誓う古代の儀礼に由来。
  • 天が厭う(てんがいとう):道義に反する者は、天が見捨てるという意味。
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