📜 引用原文(出典:『ダンマパダ』第3章 第5偈)
この心は以前には、望むがままに、欲するがままに、快きがままに、さすらっていた。
今やわたくしはその心をすっかり抑制しよう、
あたかも象使いが鉤をもって、発情期に狂う象を全くおさえつけるように。
(パーリ語原典:
Dūraṅgamaṃ ekacaraṃ asarīraṃ guhāsayaṃ,
Ye cittaṃ saññamessanti mokkhanti Mārabandhanā.
※または異読での偈文表現:Cittam’ pure saṅkilesaṃ kāmānuvattiniṃ ciraṃ,
Tañ ca damayissāmi yaṃ nāgova savatthikaṃ.)
🪶 逐語訳
- 心は、かつて、欲望のままに、快楽のままに、自由にさすらっていた。
- だが今、私はその心を完全に制御しようと決意する。
- ちょうど象使いが、発情期に暴れる象を鉤で制するように。
📘 用語解説
用語 | 解説 |
---|---|
心(チッタ) | 思考、感情、欲望を含む内面の働き。仏教では「行動の源」として最重要視される。 |
欲するがまま/快きがまま | 煩悩や本能に従って行動していた過去の未制御な心の状態。 |
抑制(制御) | 感情や衝動のままに流されることなく、理性と智慧によって心を律すること。 |
発情期に狂う象 | 最も手がつけられず制御の難しい状態の象。強大な力と暴走の象徴。 |
象使いの鉤(アンカス) | 制御と導きの象徴。訓練と規律によって暴れる力を善き方向へ導く手段。 |
🧾 全体の現代語訳(まとめ)
私の心は、これまで長い間、欲望や快楽に従って思うままにさまよっていた。
しかし、今こそそれを制御しようと決意した――まるで発情期に荒れる象を、熟練の象使いが鉤で押さえつけるように、強く、智慧をもって、私の心を静め、統御しよう。
🔍 解釈と現代的意義
この偈は、**「心の暴走を自覚し、それを自ら律する決意をもつこと」**を示しています。
人は誰しも、欲望や感情に流されることがあります。過去にどれほど心が奔放であっても、それに気づき、方向を変えようとする“意志”こそが尊いのです。
重要なのは、「制御しきれていなかったこと」を嘆くのではなく、「今から制御しよう」とする態度そのもの。
この態度が、自己変革の始まりであり、精神的自由への第一歩です。
💼 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 適用例 |
---|---|
習慣改善と自己改革 | 「これまでは自己管理が甘かった」と気づいたとき、その瞬間から変化が始まる。時間管理、感情制御、思考の質も鍛えることができる。 |
衝動的行動の制御 | 感情的なメール送信、衝動的な会話や判断を制御することが、長期的な信頼と成果を築く要因となる。 |
部下育成やマネジメント | 組織内で暴走するエネルギー(感情・アイデア・行動)を否定せず、上手く導くことが“象使い”としてのリーダーの役割。 |
意思決定と精神統一 | 難局や誘惑がある中でも「私の心は私が制御する」という覚悟が、平常心を保ち、正しい選択を可能にする。 |
💡 心得まとめ(結びのことば)
「欲望に従ってきた過去を責めるな。今、この瞬間から、心の手綱を握れ。」
どれだけ心がさまよってきたとしても、それを制しようとする今の決意が、すべてを変える。
象を訓練するように、自らの心もまた、強さと優しさと智慧で導かなければならない。
それは他人への支配ではなく、「自分自身の心を治める」こと――真の自由への道なのです。
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