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📖 引用原文(『ダンマパダ』第33章「バラモン」第62偈)
「妄愛」という母と、
「われありという想い」である父とをほろぼし、
「われ」という慢心である国王と、
永久説と断滅説という二人の博学なバラモンとをほろぼし、
第五には「疑い」という虎をほろぼして、
人は〈浄められた〉と言われる。
🔍 逐語訳(意訳)
- 母(マートゥ)=妄愛(愛着、タンハー)
- 父(ピタ)=我執(アハンカーラ)
- 国王=慢心(マーナ)
- 二人のバラモン=常見(永遠説)と断見(虚無説)
- 虎(ヴィヤーグラ)=疑い(ヴィッチキッチャー)
これら五つの強敵を打ち破った者こそ、
**完全に「浄められた者(ヴィソーダタ)」**である。
🧘♂️ 用語解説
象徴 | 実質的意味 | 解説 |
---|---|---|
妄愛(母) | 感覚への貪愛 | 依存・執着の根源である情的愛着 |
我執(父) | 自我意識 | 固定的な「自分」という観念 |
慢心(国王) | 優越・劣等意識 | プライド、見栄、自尊の誇示 |
常見・断見(2人のバラモン) | 極端な思想 | 哲学的・観念的な偏り |
疑い(虎) | 教えや修行、真理への疑念 | 信の欠如、進行の妨げとなる |
🗣 全体の現代語訳(まとめ)
この偈は、五つの強力な煩悩(親・王・師・虎)を象徴として示し、
それらを完全に打ち滅ぼすことで「人は浄らかになる」と説いています。
ここで言う「浄められた者」とは、
自己と世界への誤認・執着・疑念から解放された状態を意味します。
🧭 解釈と現代的意義
この偈は、人間存在を縛る5つの根源的構造を
あたかも「王国の構成員」のように描いています。
現代的には、それは以下のように置き換えられるでしょう:
象徴 | 現代における姿 |
---|---|
妄愛 | 感情依存、承認欲求、SNS中毒 |
我執 | 自分中心の思考、自意識過剰 |
慢心 | 学歴・肩書・実績への過信や競争心 |
常見・断見 | 白黒思考、極端なイデオロギー信仰 |
疑い | 何も信じられず前に進めない迷妄 |
この5つは、いずれも私たちの行動や選択の自由を奪う心の虎です。
これらを「知り」「滅し」「越えて」初めて、
真に自由で清浄な自己=プロフェッショナルな生き方に至ることができるのです。
🏢 ビジネスにおける解釈と適用
観点 | 実践的示唆 |
---|---|
妄愛 | 周囲からの称賛に依存せず、自律的に行動する |
我執 | 「自分が正しい」に執着せず、客観性を保つ |
慢心 | 実績に甘んじず、謙虚に継続的成長を追求 |
常見・断見 | 一つの正解に固執せず、多角的に物事を考える |
疑い | 組織のビジョンや理念を信じ、積極的に前へ進む姿勢 |
💡 感興のことば:心得まとめ
「五つの敵を滅し、真の自己を磨け」
私たちの内には、
愛にすがる母がいる。
「自分は特別だ」と主張する父がいる。
王座に座る傲慢な王がいる。
教壇で極論を語る学者たちがいる。
そして、すべてを疑い、怯える虎がいる。この五者を、心の中から一つずつ滅していくこと――
それが**「真に浄められた人」**への道。それは、称号や血筋で与えられるものではない。
肩書や知識で満たされるものでもない。心の王国を浄めよ。
内なる虎を鎮めよ。そこにこそ、清らかさと自由がある。
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