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行為するのは“私”ではない――ただ本性が働くのみ


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■引用原文(日本語訳)

主君(個我)は、世人(身体)の行為者たる状態も、行為も、行為の結果との結合も作り出さない。ただ、本性*のみが働く。
(第5章 第14節)
*本性(プラクリティ):自然本性、物質的性質。身体・心・感覚などの働きを構成する自然の力。


■逐語訳

真の自己(主君/個我)は、人間が行為者であるという錯覚も、行為そのものも、行為の結果と人との結びつきも作り出さない。
それらはすべて、本性(プラクリティ)の自然な働きによって生じるものである。


■用語解説

  • 主君(プルシャ/アートマン):観照する純粋な自己。真の主体でありながら、行為に関与しない存在。
  • 行為者たる状態:私たちが「自分がこれをしている」と思う、行為の主役としての自我意識。
  • 行為とその結合:実際の行動と、それに伴う結果や報いとの関係。
  • 本性(プラクリティ):身体・感情・思考・環境など、自然界を構成するエネルギーや性質。

■全体の現代語訳(まとめ)

本当の自己(アートマン)は、私たちが「自分が行為している」と思うその感覚も、実際の行為も、結果との結びつきも生み出さない。
それらはすべて、人間の本性――つまり自然の働きによって自動的に起こっているだけなのだ。


■解釈と現代的意義

この節は、行為や結果、責任といったものに対する“自己の錯覚”を解きほぐします。
私たちは「自分がやっている」「結果を得るのは自分だ」と思い込んでいますが、ギーターはそれを「自然の働きにすぎない」と見なします。

この認識は、ビジネスの現場で抱え込みすぎて苦しんでいる人にとって、非常に救いになります。
真我(アートマン)はあくまで観照者であり、「働いている」のは身体や心という“自然の力”。だからこそ、そこに執着や自責を持たずに、冷静に状況を見つめることができるのです。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
責任と自責の区別「全て自分のせい」と抱え込まず、「自分の性質と環境がこの行為を起こした」と観察することで、冷静な再出発が可能に。
役割と本質の分離マネージャーや営業などの“役割”を演じつつも、「これは本当の自分ではない」と見つめることで、自己を見失わずにすむ。
成果主義からの解放結果に囚われず、「起こることは自然の流れ」として受け入れる姿勢が、持続可能な働き方につながる。
俯瞰的判断力「行為をしている自分」ではなく、「それを見ている自分」の視点に立つことで、感情に流されない判断が可能になる。

■心得まとめ

「やっているのは“私”ではない――自然がそうさせている」
自分が動いていると思っていたその行為も、実は「自然の性質」が起こしているだけ。
そう気づくことで、私たちは過剰な責任や執着を手放し、自由に、そして誠実に、今すべきことに取り組めるようになります。ギーターは、そうした“観照の智慧”を通じて、真のビジネスの安定と成熟を導いてくれるのです。

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