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葬儀に大切なのは、形式よりまごころ

親子のように想い合った関係には、飾らぬ愛を込めたい

顔淵(がんえん)が亡くなったとき、孔子の門人たちは、彼のために立派な葬儀を出したいと申し出た。
しかし、孔子はそれを制して「いけない」と告げた。

それにもかかわらず、門人たちは形式を重んじ、盛大な葬儀を行ってしまう。
これを見た孔子は、深い嘆きと共にこう語った。

「顔回(がんかい)は、私のことを父のように思ってくれていた。だから私は、自分の子・鯉(り)にしてやったように、飾らず、心のこもった質素な葬儀をしてやりたかった。
だが、それを叶えることができなかった。私のせいではない。あの、数人の門人たちのせいなのだ」

孔子が重視したのは、形式ではなく、心からの哀悼だった。
涙とまごころがあれば、葬儀の華やかさなど必要ない。
それは孔子が一貫して説いた「礼の本質」に通じている。


引用(ふりがな付き)

顔淵(がんえん)死(し)す。門人(もんじん)、厚(あつ)く之(これ)を葬(ほうむ)らんと欲(ほっ)す。
子(し)曰(い)わく、「不可(ふか)なり」
門人(もんじん)、厚(あつ)く之(これ)を葬(ほうむ)れり。
子(し)曰(い)わく、
「回(かい)や、予(われ)を視(み)ること猶(なお)父(ちち)のごとし。
予(われ)は視(み)ること猶(なお)子(こ)のごとくするを得(え)ず。
我(われ)に非(あら)ざるなり。夫(か)の二三子(にさんし)なり」


注釈

  • 厚葬(こうそう):豪華で形式的に立派な葬儀。
  • 猶お父・猶お子のごとし:親子のように深く信頼し合っていた関係を示す。
  • 二三子(にさんし):少数の門人たち。ここでは盛大な葬儀を主張した弟子たちを指す。
  • 「喪は其の易(か)えんよりは寧(むし)ろ戚(いた)め」:外見を飾るよりも、内面の悲しみを大切にせよ(第44章に通じる考え)。
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