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忠臣を使いこなせぬ者に、彼らの価値はわからない

見識のない者が賢臣を持ち上げることほど、聞いていてつらいことはない

魯国の大夫、季子然(きしぜん)は、孔子にこうたずねた。

「最近、自分が召し抱えた仲由(子路)と冉求(ぜんきゅう)は、大臣にふさわしい人物でしょうか?」

この問いを聞いた孔子は、面白くなさそうに、やや皮肉を込めてこう答える。

「私はてっきり、もっと偉大な人物のことをお尋ねかと思いました。まさか、子路と冉求のこととは……」

「本来、大臣とは“道”によって君主に仕え、正しい道が行われない時はきっぱりと辞すべき者です。
その意味で言えば、由(子路)と求(冉求)は、まだそこまでには至っておらず、ただの“具臣”、すなわち使い走りの家臣のようなものに過ぎません」

なおも季子然は問い続ける。

「では、そうした“具臣”は、主人の命令にはなんでも従うのでしょうか?」

孔子は、きっぱりと答える。

「いいえ。彼らは“道”を学んだ者です。たとえ主君であっても、父や君を弑(しい)するような悪行には、決して従いません」

ここには、権力に酔い、自らの地位を誇示する者への鋭い皮肉と、
弟子たちへの信頼と誇り、そして“道をもって仕える”という儒の倫理観がはっきりと示されています。


引用(ふりがな付き)

季子然(きしぜん)問(と)う、「仲由(ちゅうゆう)・冉求(ぜんきゅう)は、大臣(だいじん)と謂(い)うべきか」
子(し)曰(い)わく、「吾(われ)、子(し)を以(も)って異(こと)なるを之(これ)問(と)うと為(な)す。曾(かつ)て由(ゆう)と求(きゅう)とを之(これ)問(と)うとは……」
「所謂(いわゆる)大臣(だいじん)なる者は、道(みち)を以(もっ)て君(きみ)に事(つか)え、可(か)ならざれば則(すなわ)ち止(や)む。今、由(ゆう)と求(きゅう)や、具臣(ぐしん)と謂(い)うべきなり」
曰(い)く、「然(しか)らば則(すなわ)ち之(これ)に従(したが)う者か」
子(し)曰(い)わく、「父(ちち)と君(きみ)とを弑(しい)するには、亦(また)従(したが)わざるなり」


注釈

  • 季子然(きしぜん):魯の有力大夫。孔子の弟子である子路と冉求を召し抱え、誇らしげに語っているが、真の「君子」の器ではない。
  • 大臣(だいじん):ただの高位者ではなく、“道”に基づいて諫言し、時に辞職も辞さぬ真の忠臣を指す。
  • 具臣(ぐしん):形式的な従属者。命令に従うが、自らの意見や主義を持たない者。
  • 弑(しい):父や君主を殺すこと。最も大罪とされる行為。

1. 原文(整形)

季子然問、仲由冉求、可謂大臣與。
子曰、吾以子爲異之問、曾由與求之問。
所謂大臣者、以道事君、不可則止。
今由與求也、可謂具臣矣。
曰、然則從之者與。
子曰、弑父與君、亦不從也。


目次

2. 書き下し文

季子然(きしぜん)問(と)う、「仲由(ちゅうゆう)、冉求(ぜんきゅう)は大臣(たいいん)と謂(い)うべきか」。
子(し)曰(い)わく、「吾(われ)、子(し)を以(もっ)て、異(こと)なるを之(これ)問うと為(な)せり。曾(かつ)て由(ゆう)と求(きゅう)とを之れ問う。
所謂(いわゆる)大臣(たいいん)なる者は、道(みち)を以(もっ)て君(きみ)に事(つか)え、可(か)ならざれば則(すなわ)ち止(とど)む。
今(いま)、由と求とは、具臣(ぐしん)と謂うべし」。
曰(いわ)く、「然(しか)らば則(すなわ)ち之(これ)に従(したが)う者(もの)か」。
子曰く、「父と君とを弑(しい)するには、亦(また)従わざるなり」。


3. 現代語訳(逐語/一文ずつ)

  • 季子然が尋ねた:「子路(仲由)や冉求は、大臣と呼ぶにふさわしいでしょうか?」
  • 孔子は言った:「私は、あなたがもっと本質的に異なる人を聞いているのだと思った。まさか子路と冉求のこととは。」
  • 「大臣とは、道理に基づいて君主に仕え、道に反することがあれば仕えるのをやめる者のことだ。」
  • 「今の子路と冉求は、“具臣”──ただ命令に従うだけの従属的な家臣にすぎない。」
  • 季子然がさらに問う:「では、彼らはどんな命令にも従うのですか?」
  • 孔子は答えた:「たとえ父や君が人を殺すような非道を行おうとしても、それには従ってはならない。」

4. 用語解説

用語意味
季子然(きしぜん)季孫氏の一族。魯国の実力者・重臣。
仲由(ちゅうゆう)子路のこと。孔子の高弟で実行力に富む。
冉求(ぜんきゅう)孔子の弟子。政治的実務に長けており、季氏に仕えていた。
大臣(たいしん)君主に仕える高官。ただの執行者ではなく、道義に基づく進言・諫言を行う責任ある立場。
以道事君(みちをもってきみにつかう)道理・正義・仁義に基づいて君主に仕えること。
不可則止(かなわざればすなわちとどむ)その道に合わなければ、仕えるのをやめる=進退の節度をもつ。
具臣(ぐしん)道理を顧みず、命令に従うだけの従属的な家臣。単なる執行者。
弑(しい)父や主君を殺すこと。古代中国において最大の不忠・大罪。
亦不従也(またしたがわざるなり)たとえ上からの命令でも、非道なことには決して従ってはならない。

5. 全体の現代語訳(まとめ)

季子然が尋ねた:
「子路や冉求は、大臣と呼ぶにふさわしいでしょうか?」

孔子は答えた:
「私は、もっと違う人物についての質問かと思っていた。まさか彼らのこととは。
本来、大臣とは、道にかなっていれば仕え、道に反すれば仕えることをやめる者のことだ。
だが今の子路や冉求は、命令に従うだけの従属的な家臣(具臣)に過ぎない。」

季子然がさらに問うた:
「では彼らはどんな命令でも従うのでしょうか?」

孔子は答えた:
「いや、父や君主が非道なことをしようとした場合、たとえそれでも、従ってはならない。」


6. 解釈と現代的意義

この章句は、孔子の**「仕えることの本質=忠義とは何か」**を明らかにした極めて重要な箇所です。

● 本質的メッセージ:

  • 真の「大臣」とは、忠実であるだけでなく“道義”に立脚して仕える人物である。
  • 命令を無批判に従う者は「具臣」にすぎず、それは徳のある人物とは言えない。
  • “不正な命令には従わない”という節義を持つ者こそが、真の補佐役=大臣である。

これは、現代で言えば**「イエスマンと真の参謀の違い」**を示しているといえるでしょう。


7. ビジネスにおける解釈と適用

❶「道義のない忠誠は、忠ではなく盲従である」

– 上司の命令や組織の方針であっても、**それが道理に反していれば止めるのが“真の部下”**である。

❷「“進言できない部下”は、能力がないか、信頼されていないか」

– 孔子は、単に命令に従う人材を低く見ている。
→ リーダーは、自分に意見する“道を持つ参謀”を重んじるべき

❸「命令が“不正”であれば、従うべきでない」

– たとえそれが上司・経営者・親会社の指示であっても、コンプライアンス・倫理に反すれば、“従わない”という勇気が必要


8. ビジネス用心得タイトル

「従うべきは命令ではなく、道──真の参謀とは、諫める者なり」


この章句は、現代においても極めて重要なリーダー論・組織論の根幹を突いています。
「忠実さ」や「実務能力」では測れない、“節義ある仕え方”と“反骨の誠意”こそが、組織に真の信頼と安定をもたらすという教訓です。

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