真に清廉な人物は、その「清廉さ」を他人に示そうとはしない。
だからこそ、評判になることも少ない。逆に「清廉な評判を立てようとする者」には、
その評判を自己利益や名声に利用しようとする、密かな欲が潜んでいることが多い。
また、真に巧みな技を持つ者は、その技を誇示することなく、
むしろ「無技」のように見えるほど自然に、静かに使いこなす。
一方で、技巧をことさら見せつけようとする者は、
その未熟さを自ら暴露しているにすぎない。
本物は静かにして騒がず、有名であることに価値を置かない。
評判や外見にとらわれた瞬間、それはすでに「本物」から遠ざかっている。
原文とふりがな付き引用
真廉(しんれん)は廉名(れんめい)無(な)し。名(な)を立(た)つる者(もの)は、正(まさ)に貪(むさぼ)ると為(な)す所以(ゆえん)なり。
大巧(たいこう)は巧術(こうじゅつ)無(な)し。術(じゅつ)を用(もち)うる者(もの)は、乃(すなわ)ち拙(せつ)と為(な)す所以(ゆえん)なり。
注釈(簡潔に)
- 真廉(しんれん):本当に清廉で誠実な人格者。
- 廉名(れんめい):清廉であるという「評判」や「名前」。
- 貪(むさぼ)る:名を立て、それを私的に利用しようとする利己的な欲望。
- 大巧(たいこう):至高の技、熟練の極み。老子の「大巧は拙なるがごとし」に通じる。
- 巧術(こうじゅつ):技を見せること・誇示すること。技巧の表面的な演出。
- 術を用うる者は拙と為す:技を強調する者ほど、実は未熟であるという逆説。
1. 原文
眞廉無廉名。立名者、正以爲貪。大巧無巧術。用術者、乃以爲拙。
2. 書き下し文
真の廉(れん)は、廉の名無く、名を立つる者は、正に貪(どん)と為(な)す所以(ゆえん)なり。
大なる巧(こう)は、巧術(こうじゅつ)無く、術を用うる者は、乃(すなわ)ち拙(せつ)と為す所以なり。
3. 現代語訳(逐語/一文ずつ訳す)
- 眞廉無廉名。
→ 本当に清廉な人には、自分が清廉であるという名声(名乗り)などない。 - 立名者、正以爲貪。
→ 逆に「清廉な人」との名を得ようとする人こそ、むしろ名声を欲する“貪欲”の表れである。 - 大巧無巧術。
→ 本当に巧みな人は、技巧や小手先の術などを用いない。 - 用術者、乃以爲拙。
→ かえって策を弄する者は、不器用に見えるものである。
4. 用語解説
- 真廉(しんれん):本物の清廉さ・潔白さ。内面的で無私な姿勢。
- 廉名(れんめい):清廉という名声・称号。周囲からの評価や自称。
- 貪(どん):欲望が深く、求めすぎること。
- 大巧(たいこう):本物の優れた巧みさ、自然体の熟練。
- 巧術(こうじゅつ):テクニック、小手先の技術。
- 拙(せつ):不器用、または見かけ上の拙さ。ここでは「表面に囚われた結果の浅さ」の比喩。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
真に清廉な人は、自分が清廉であると名乗ることさえしない。
むしろ、清廉であることを世に示し、名を立てようとする者は、名声を求めるという意味で貪欲な者である。
また、本当に巧みな人物は、技巧に頼らず自然体であり、かえって策を弄して見せる者の方が不器用に見えるものである。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、「本物は目立たず、名を求める者は偽物」という、深い人間洞察に満ちています。
- 本当に清廉な人物は、名誉すら欲しない。
- 本当に有能な人物は、技巧すら見せず、自然体である。
つまり、「本質は無名の中にあり、技巧は見えないところにある」という逆説的な哲理です。
“名を求める行為”や“技を誇示する姿勢”こそが、すでに本質を損なっているのです。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
▪ 名声を求める清廉さは、清廉ではない
CSRや倫理的行動も、見せびらかすため・評価されるためだけのものなら、それは本質を失っている。“清廉さ”は静かににじみ出るものである。
▪ 表に出ない“自然体の技”が信頼を生む
プレゼンや成果報告において、テクニックを強調しすぎると却って「うわべだけ」の印象を与える。“自然に、簡潔に”伝えられる人にこそ、真の力量が宿る。
▪ 自己主張より「実」のある仕事を
「自分はこんなに頑張っている」と言いたくなる場面もあるが、真に信頼される人は、黙っていても実績が語ってくれる。それが「大巧無巧術」の姿勢である。
8. ビジネス用の心得タイトル
「本物は名を語らず、技を誇らず──無言の清廉と自然の巧が信頼を築く」
この章句は、評価されたい・見せたい・認められたいという“表面的な欲望”からの脱却を説いています。
本当に価値ある人物・行動・成果とは、見せようとしなくても、自然ににじみ出るものなのです。
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