高句麗の泉蓋蘇文が自国の王を殺し、政権を奪ったという報告を受けたとき、太宗は怒りを覚えた。
軍の力で討つことは可能だとしつつも、すぐには兵を動かさず、間接的な対応を検討した。
このとき、重臣・房玄齢はこう諫めた。
「古より、強き国は弱き国を侵し、多き者は少ない者を虐げてきました。
しかし今、陛下は力を持ちながらも、兵を起こされていない。
それこそ『武』の真義――“戈を止める”ことに他なりません。
前漢の武帝や隋の煬帝が、遠征を繰り返して国を衰えさせた歴史を、どうかお忘れなきよう」
太宗はこの言葉に深く頷き、「善」と応えた。
真の武とは、力に任せて攻めることではなく、その力を慎み、平和を守ることである。
戦う覚悟より、戦わぬ決断にこそ、統治者の器が現れる。
■引用(ふりがな付き)
「謂(い)わく、戈(ほこ)を止(と)むるを以(もっ)て武(ぶ)となす者(もの)なり。今(いま)、是(これ)その通(とお)りなり」
■注釈
- 泉蓋蘇文(せんがいそうぶん):高句麗の有力武臣で、政変により王を殺し実権を握った。
- 契丹(きったん)・靺鞨(まつかつ):中国東北部や朝鮮半島北部にいた異民族。唐は時に彼らを利用して間接的に周辺国に圧力をかけた。
- 戈(ほこ)を止むる:戦を止める、武力を抑えるという意。『武』の字が「止+戈」で構成されていることからの言葉遊びを含んだ思想。
- 漢武帝・隋煬帝:ともに大遠征を繰り返した結果、国力を消耗させ民を苦しめた例として挙げられている。
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