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時には厳しく叱ることも“仁”のかたち

――長き沈黙を破るに足る苦言は、相手を想う心から生まれる

ある日、孔子が訪れた先で、昔なじみの原壌(げんじょう)が礼を欠いた態度で出迎えます。
彼はあぐら(=夷)をかいたまま立てひざで孔子を待っていた
のです。

その不敬な態度に対し、孔子は激しくこう叱責します。

子どもの頃から礼儀を知らず、
大人になってからも善い行いもせず、
年を取っても死にきれずに人に迷惑をかけている。
こういう人を“賊(ぞく)”というのだ。

そして孔子は、杖で彼のすねを軽く叩きました。


本質:

孔子は常に温和な人物として描かれることが多いですが、
この場面では明確に怒り、行動でもそれを表現しています。

  • ただの説教ではなく、痛みを伴わせることで目を覚まさせようとする態度。
  • それは見せかけの怒りではなく、「長年の知己に対する深い思い」が背景にある叱責でした。
  • 年長者や旧友であっても、過ちには遠慮なく苦言を呈す。
     それが孔子の“本物の徳”の姿なのです。

原文とふりがな付き引用:

「原壤(げんじょう)、夷(い)して俟(ま)つ。
子(し)曰(いわ)く、
幼(おさな)くして孫弟(そんてい)ならず、
長(なが)じて述(の)ぶること無く、
老(お)いて死(し)せず。
是(こ)れを賊(ぞく)と為(な)す。

杖(つえ)を以(もっ)て其(そ)の脛(はぎ)を叩(たた)く。」


注釈:

  • 原壌(げんじょう) … 孔子の古い知人。幼少期の付き合いとも。
  • 夷して俟つ … あぐらをかいたまま待っている=礼を欠いた態度。
  • 孫弟(そんてい) … 謙虚であり、目上を敬うこと。基本的な礼儀。
  • 述ぶること無く … 善い行いや徳の実践が見られない。
  • 賊(ぞく) … 人の徳や信頼を損なう存在。人格的に堕落した者への厳しい呼称。
  • 杖で脛を叩く … 物理的な軽い制裁であるが、孔子にしては非常に珍しい行動。

教訓:

この章句は、**「相手を本当に想うからこそ、厳しい言葉も必要な時がある」**ということを伝えています。

  • 礼儀を欠いた態度に目をつぶるのは、真の優しさではない。
  • とくに親しい間柄だからこそ、甘やかすのではなく、“仁の心”をもって叱ることが求められる。
  • 年齢や関係性に関係なく、善を教えることにためらいがあってはならない。

この“叱ることもまた仁である”という孔子の姿勢は、
現代においても教育やリーダーシップの場において大切な教訓となるでしょう。


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