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志が仁に向かう者に、道を踏み外す心はない

人格を高めるという決意が、人をまっすぐに導く

孔子は、行動を正すのに先立って「志のありか」を問うた。
もし人が本気で仁――つまり他者への思いやりや誠実さを追求しようとしているなら、その人は自然と悪から遠ざかるという。
人は時に誘惑や混乱に揺れるが、志を仁に定めていれば、たとえ迷っても大きく道を外れることはない。
仁を目指すという心の向きが、そのまま人を律し、支える軸となる。
善悪の判断力も、行動の品格も、「志」の純度によって決まるのだ。


原文とふりがな付き引用

子(し)曰(いわ)く、苟(いやしく)も仁(じん)に志(こころざ)さば、悪(あ)しきこと無し。

仁を志す者には、悪をなす余地がない。
その志が行動のすべてを方向づけるからだ。


注釈

  • 苟(いやしく)も…もし本気で、ひとたび~すれば。仮定の語で、強い決意を含む。
  • 志す(こころざす)…心から目指すこと。表面的な意識ではなく、内面的・継続的な願望を指す。
  • 仁(じん)…人間愛、思いやり、誠実さなどを備えた人格的理想。孔子の教えの中心概念。
  • 悪(あ)しきこと…道に反する行為、倫理的な誤りや不正。
  • 「無悪也」は、絶対的に悪をなさないというより、「心が仁に向いている限り、自然と悪から遠ざかる」という趣旨。
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