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志があるなら、外見や贅沢に惑わされるな

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志を立てた者は、道を優先すべきである

孔子は、「士」とは学問や修養に努め、人生の正しい道を歩もうとする者のことだと説いた。
そうした者が、粗末な衣や質素な食事を恥じるようであれば、それはまだ真に「道に志す者」とは言えない。

本物の「士」は、世俗的な快楽や見栄を気にせず、志の実現に向かってひたむきであるべきだ。

そのような志のない者とは、まだ真剣な議論すら交わせる段階にないと、孔子は厳しく言い切っている。
志とは、何を大切にするかを決めることであり、それ以外のもの――外見、地位、快楽――への執着を断つ覚悟でもあるのだ。

本気で「道」を志す者が、粗末な暮らしを恥じるなら、
まだその志は見せかけにすぎない。

原文

子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。

書き下し文

子(し)曰(いわ)く、士(し)、道(みち)に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥(は)ずる者は、未(いま)だ与(とも)に議(ぎ)るに足(た)らざるなり。

現代語訳(逐語・一文ずつ)

  • 「子曰く、士、道に志して」
     → 孔子は言った。「士(志ある人)が、道(=正しい生き方・真理)を目指すのであれば」
  • 「悪衣悪食を恥ずる者は」
     → 「粗末な衣服や食事を恥ずかしく思うようでは」
  • 「未だ与に議るに足らざるなり」
     → 「その人とは、道について真剣に語り合うに値しない」

用語解説

用語解説
士(し)志を立て、学びを重んじる人物。理想的な知識人・有徳者を指す。
道(みち)人としての正道・真理・倫理的生き方。儒教の中心概念。
志す(こころざす)目標として進む、真剣に追求するという強い意志。
悪衣悪食(あくいあくしょく)粗末な衣服と食事。物質的に貧しい状態。
恥ず(はず)恥じる、劣ることを嫌う。ここでは「見栄を気にする」意味。
議る(ぎる)議論する、話し合う。

全体の現代語訳(まとめ)

孔子はこう語った:

「志ある者が、道(正しい生き方)を目指すのであれば、粗末な服や食事を恥じるようではいけない。
そのような者とは、人生や道義について語り合うにはふさわしくない」

解釈と現代的意義

この章句では、**「本気で理想を目指す者は、物質的な体裁を気にすべきではない」**という孔子の倫理的厳しさが示されています。

  • 真に道を志す者(士)にとって、見た目や生活の贅沢さよりも、志と誠実さが重要
  • 貧しいことを恥じ、贅沢を誇るようでは、“道”を理解しているとは言えない
  • 孔子は、「見た目にとらわれる人とは深い話ができない」とまで言い切っています。

ビジネスにおける解釈と適用

「理念を持つ者は、見た目や贅沢より“中身”で勝負せよ」

  • 志ある起業家やリーダーは、ブランド品や高級な暮らしより、理念と実行力を評価されるべき
  • 見栄を気にするようでは、本質的な価値を提供する思考にならない

「“道を語る”に値する人とは?」

  • 議論すべき相手は、価値観が“外見”ではなく“中身”にある人
  • 孔子は、「志を同じくしない者とは深く議論できない」という厳しい態度を取ることで、本質的対話の重要性を示している。

「採用やパートナー選びに“志”を見る」

  • 候補者が何を恥とし、何を誇るかを見れば、その人が“道”に生きているかどうかが見えてくる。
  • 「粗衣粗食を気にしない人」は、本質を見抜く力と持続力を持つ可能性が高い

まとめ

「道を志す者は、体裁を恥じず──“本気”を見抜け、志で語れ」

この章句は、**「外見ではなく、志のある生き方に価値がある」**という、
孔子の根本的な価値観を表したものであり、現代にも強く響く教訓です。

特に、「志を語る相手を見極めよ」というこのメッセージは、経営・人材育成・自己実現すべてにおいて極めて実践的です。

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