日々の孝よりも、死に際しての礼が人の真価を問う
孟子は、親に孝養を尽くすことは当然のことであり、それ自体は特筆すべき「大事」とは言えないとした。
本当に重要なのは、親が亡くなったときに、どのように弔うか――その葬送の場にこそ、人としての礼や誠、
そして家族や社会に対する姿勢が最も強く表れると述べている。
親が生きている間の孝は、平時の徳として「当たり前」の行いであり、
真にその人の品格や徳が試されるのは、死という非日常の「大事」にどう向き合うかにある。
これは単なる儀礼や形式の問題ではない。
葬送は、命の尊厳と関係性の総決算としての行為であり、個人の徳を社会に示す重要な節目なのである。
原文(ふりがな付き)
孟子(もうし)曰(いわ)く、
生(せい)を養(やしな)うは、以(もっ)て大事(たいじ)に当(あ)つるに足(た)らず。
惟(た)だ死(し)を送(おく)るは、以(もっ)て大事(たいじ)に当(あ)つべし。
注釈
- 生を養う:親が生きている間に孝を尽くすこと。日常的な義務であり、基本的な徳。
- 死を送る:親の死に臨んで葬儀を行うこと。ここでの礼節・誠意こそが真の「孝」の試金石。
- 大事に当つる(たいじにあたつる):人生における重大事にふさわしい行為であるという意味。
- ※異説として、伊藤仁斎は「大事を任せられる」という解釈も提示。
⇒ 生に執着する者には大事を任せられない、死を恐れぬ者こそ本当に信頼できる、という含意。
- ※異説として、伊藤仁斎は「大事を任せられる」という解釈も提示。
心得の要点
- 親孝行は当然であり、その本質は「いかに弔うか」に最も現れる。
- 死に際しての礼儀は、その人の内面の徳を社会に示す行為である。
- 平常の孝は義務、葬送の孝は覚悟と人格の証。
- 非日常の「大事」にどう臨むかが、その人の真価を問う。
パーマリンク案(スラッグ)
- true-filial-piety-shows-in-death(真の孝は死に際して現れる)
- honor-in-farewell(弔いにこそ誠が宿る)
- more-than-daily-duties(孝は日常を超える)
この章は、現代においても「形式に頼らない本質的な儀礼とは何か」を問う視点を与えてくれます。
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