孔子はある日、古い詩を口ずさみながら、こう語った。
その詩とは、**『詩経』**にある一節:
「唐棣(すもも)の花が風に揺れている。
あなたを思っているけれども、
家が遠いから会いに行けないのだ」
この詩を聞いた孔子は、その言い訳がましさに対して、鋭くこう言い放った。
「それは本当に思っているとは言えない。
思いが真剣ならば、距離など問題になるはずがない」
孔子がここで批判しているのは、“気持ちのなさを距離のせいにする”という姿勢である。
「遠いから」「忙しいから」「状況が悪いから」といった言葉は、真の誠意がないときに使われがちな言い訳だ。
本気で誰かを、何かを思うなら、障害を超えて会いに行く、伝える、行動に移すはず。
それができないのは、実はまだ心の奥底で本気になっていないからだと、孔子は喝破する。
原文(ふりがな付き)
「唐棣(とうてい)の華(はな)、偏(へん)として其(そ)れ反(なみだ)う。豈(あ)に爾(なんじ)を思わざらんや。室(いえ)、是(こ)れ遠(とお)ければなり。子(し)曰(いわ)く、未(いま)だ之(これ)を思(おも)わざるなり。夫(そ)れ何(なに)の遠(とお)きことや之(これ)有(あ)らん。」
注釈
- 唐棣(とうてい)…スモモの一種。春に白い花を咲かせる。詩的に「思い」を象徴。
- 偏として其れ反う…花びらが風に舞い揺れるさま。感情の揺れ、未練を表す。
- 豈不爾思(あになんじをおもわざらんや)…「あなたのことを思っていないわけではない」という遠まわしな言い方。
- 室是遠(いえこれとおし)…家が遠いから、という言い訳。
- 未之思也(いまだこれをおもわざるなり)…本気で思っていないから行かないのだ、という孔子の断言。
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