MENU

執着も迷いもなく、永遠の静けさに至る者こそ、真の覚者


目次

■引用原文(日本語訳)

こだわりがなく、
さとりを得て、
疑いがなく、
不死の底に達した人――
その人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ。

(『ダンマパダ』第411偈|第二六章「バラモン」)


■逐語訳

  • Yo hereva santo virato ca kāmehi:この世で、欲から離れ静まった人であり
  • Saṃsāradukkhassa vītataṇho:輪廻の苦しみを超えて、渇望を離れ
  • Atikkanto bhavasaṃyojanaṃ:存在の束縛(=輪廻を引き起こす執着)を超えた人
  • Tam ahaṃ brūmi brāhmaṇaṃ:そのような人を、私は〈バラモン〉と呼ぶ

※詩文表現には若干の異読あり。


■用語解説

  • こだわりがない(virato):欲望・執着・感情的反応から離れていること
  • さとりおわって(santo):心が静まり、真理を体得した状態。
  • 疑惑がない(akathaṅkathī):教えに対して一切の疑念を抱かない確信の境地
  • 不死(amata):涅槃(ニルヴァーナ)の別名。生死輪廻を超越した「不生不滅」の悟り
  • 底に達した(patto):究極の目標に到達したという表現。深淵にたどり着いた意

■全体の現代語訳(まとめ)

執着にこだわらず、心静かに悟りを得て、
もう何も疑うことがなく、
生と死の流転を越えた不死の境地に達した者――
その人こそ、真に自由な〈バラモン〉であると
仏陀は語る。


■解釈と現代的意義

この偈は、**「こだわらない心」「疑いのない心」「死を超える心」**という、悟りの三大要素を結晶化しています。
「こだわらない」とは、成功や失敗、賞賛や非難に反応しない自由。
「疑いがない」とは、人生の目的や道に対して確信を得た状態。
「不死」とは、生まれ変わりや死後への恐れを超えた、**究極の安心(アサンカー)**のことです。

現代においても、私たちは日々の「こだわり」や「迷い」に囚われ、
将来の不安や死の恐怖を感じて生きています。
しかしこの偈は、そうした不安から抜け出すための鍵は、
執着と迷いを離れ、「今ここ」に静かに生きることだと教えてくれます。


■ビジネスにおける解釈と適用

観点適用例
自己中心的な執着の超克自分の手柄・名誉に執着せず、チーム全体の成果に喜びを見出す姿勢が信頼を生む。
迷いなき意思決定確固たる価値観とビジョンを持って迷いなく判断することで、チームを導く力となる。
死を恐れぬ覚悟=本気度キャリアや地位への恐れからの解放は、真の自由な創造力と挑戦をもたらす。
本質への集中周囲の騒音に惑わされず、何が本当に大切かを見極める視点を持つリーダー像。

■心得まとめ

「迷いを捨て、執着を離れ、ただ静かに在れ」
未来のこと、他人の評価、失敗への恐れ……
それらすべてにとらわれている限り、
心は決して自由ではない。
こだわりを捨て、
確かな道を知り、
そして死すら恐れずに生きる――
その姿にこそ、真の〈バラモン〉、
つまり自由で強く、静かな人間の姿があるのです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次