孟子は、地位・権勢・財力を誇る者に対して、決してひるまず、気圧されることのない態度を説く。
彼のこの章は、“見せかけの華やかさ”に惑わされず、“内なる志”こそを尊ぶべきだという強い信念に貫かれている。
孟子はまずこう言う:
「貴人と話すときは、むしろ軽んじるくらいの気概で接せよ。見かけの巍巍然たる様子に心を奪われてはならない」
例えば:
- 高殿は数仞もあり、垂木も立派なものかもしれない。
→ しかし、私が志を得たとしても、そんな建物は決して建てない。 - 食事は一丈四方に並び、侍女が何百人も控えているかもしれない。
→ だが、私が望んだとしても、そんな贅沢は行わない。 - 酒宴にふけり、狩りに明け暮れ、千台の車を従えるような権勢を誇っていても、
→ 私にその力があっても、決してそうはしない。
孟子が語る「彼らにあるもの」は、いずれも“自分が求めないもの”であり、見せかけの富貴にすぎない。
それに対して「私にあるもの」とは、昔の聖王たちが定めた道理=“古の制”であり、時代を超えて真に価値あるものだと語る。
「だから、私は彼らを恐れる理由などまったくない」
この章は、孟子の気骨、そして道義を中心とする徹底した価値観の独立性を象徴しており、
物に屈しない、権に靡かない、己の信じる道を守る者の姿勢を高らかに示すものである。
引用(ふりがな付き)
「孟子(もうし)曰(いわ)く、大人(たいいん)に説(と)くには、則(すなわ)ち之(これ)を藐(あなど)んぜよ。
其の巍巍然(ぎぎぜん)たるを視(み)ること勿(なか)れ。
堂(どう)の高(たか)さ数仞(すうじん)、榱題(すいだい)数尺(すうせき)、我(われ)志(こころざし)を得(え)るも為(な)さざるなり。
食前方丈(しょくぜんほうじょう)、侍妾(じしょう)数百人(すうひゃくにん)、我志を得るも為さざるなり。
般楽(はんがく)して飲酒(いんしゅ)し、駆騁田獵(くちょうでんりょう)し、後車千乗(こうしゃせんじょう)、我志を得るも為さざるなり。
彼に在(あ)る者は、皆(みな)我が為さざる所(ところ)なり。
我に在る者は、皆古(いにしえ)の制(せい)なり。吾(われ)何(なん)ぞ彼を畏(おそ)れんや」
注釈
- 巍巍然(ぎぎぜん)…見た目が荘厳で堂々とした様子。
- 仞(じん)…高さの単位。古代では一仞=約2.3m前後。
- 榱題(すいだい)…屋根の梁の先端。建築の豪華さの象徴。
- 食前方丈(しょくぜんほうじょう)…食事が一丈四方(約3.3m四方)にも及ぶ贅沢。
- 侍妾(じしょう)…側室、侍女のこと。
- 後車千乗(こうしゃせんじょう)…権勢を示す壮麗な馬車列。
- 古の制(いにしえのせい)…古代の聖王が定めた礼・制度・道理のこと。
1. 原文
孟子曰、說大人、則藐之、勿視其巍巍然。
堂高數仞、榱題數尺、我得志弗為也。
食方丈、侍妾數百人、我得志弗為也。
般樂飲酒、驅騁田獵、後車千乘、我得志弗為也。
在彼者、皆我不為也。
在我者、皆古之制也。
吾何畏彼哉。
2. 書き下し文
孟子(もうし)曰(いわ)く、大人(たいじん)に説(と)くには、則(すなわ)ち之(これ)を藐(あなど)るべし。其の巍巍然(ぎぎぜん)たるを視(み)ること勿(なか)れ。
堂(どう)の高(たか)さ数仞(すうじん)、榱題(すいたい)数尺(すうせき)、我(われ)志(こころざし)を得(え)るも為(な)さざるなり。
食(しょく)方丈(ほうじょう)、侍妾(じしょう)数百人、我志を得るも為さざるなり。
般楽(はんがく)して飲酒(いんしゅ)し、駆騁(くちょう)田猟(でんりょう)し、後車(こうしゃ)千乗(せんじょう)、我志を得るも為さざるなり。
彼(かれ)に在(あ)る者は、皆(みな)我が為さざる所なり。我に在る者は、皆古(いにしえ)の制(せい)なり。
吾(われ)何(なん)ぞ彼を畏(おそ)れんや。
3. 現代語訳(逐語訳/一文ずつ訳)
- 大人に説くには、則ち之を藐んぜよ
→ 権力者にものを説くときは、むしろ心の中で彼を軽んじるくらいでよい。 - その堂々たる威容に目を奪われるな
→ 高くそびえる邸宅や立派な装飾に圧倒されてはいけない。 - 堂の高さが数仞、梁の装飾が数尺あっても、私は成功してもそのようなものを作らない
→ 富を得ても贅沢な邸宅などは作らない。 - 食事が一回で一畳分、侍女が数百人いたとしても、私は望まない
→ 豪華な食卓や後宮も、自分が望む人生ではない。 - 音楽を奏でて酒を飲み、馬で狩りをし、千台の馬車を従えても、私はしない
→ 権勢や享楽に溺れることを、私は拒む。 - 彼の側にあるそれらのものは、すべて私が望まないことである
→ 権力者が誇るものは、私にとって価値がない。 - 私の側にあるものは、すべて古の礼に則ったものである
→ 私が守っているのは、古の聖賢たちが定めた正しい生き方である。 - 私はなぜ彼らを恐れる必要があろうか
→ だからこそ、私は権力者を恐れることはない。
4. 用語解説
- 大人(たいじん):地位の高い者、権力者。
- 藐(あなど)る:軽く見る、圧倒されない心持ち。
- 巍巍然(ぎぎぜん):高くそびえるさま、権威や堂々たる様子。
- 仞(じん):長さの単位。1仞は約2メートル。
- 榱題(すいたい):屋根や梁の装飾。
- 方丈(ほうじょう):1丈四方=およそ3メートル四方。転じて豪華な食事量のたとえ。
- 般楽(はんがく):音楽を奏でて楽しむこと。
- 駆騁田獵(くちょうでんりょう):馬に乗って狩りをすること。遊興や娯楽の象徴。
- 古の制(いにしえのせい):古代の聖王・聖賢たちが定めた道徳的な制度・生活の規範。
5. 全体の現代語訳(まとめ)
孟子はこう語った:
権力者に対して道を説くときは、恐れず、むしろ内心で軽んじるくらいでよい。
彼らが誇る堂々たる屋敷や華美な装飾、豪勢な食事や多数の妾、贅沢な酒や娯楽、千台の馬車──
もし自分が成功しても、私はそのようなものを望まない。
それらは、私にとって価値のないものであり、
私が持っているものは、古代の聖王たちが定めた規範と一致している。
ならば、なぜ私は彼らを恐れる必要があろうか。
6. 解釈と現代的意義
この章句は、**「権威に屈しない精神」「価値観の主体性」「節度と規範の重視」**を説いています。
孟子は、外見の豪華さや一時の権勢に圧倒されることなく、
古の道徳と自己の信念に基づく価値基準で物事を見るべきだと強く主張しています。
それは、外から与えられる“強さ”ではなく、内なる“徳と信念の強さ”こそが真の尊厳であるという立場です。
7. ビジネスにおける解釈と適用(個別解説付き)
「肩書や装飾に圧倒されるな」
- 会議でのプレゼンや経営層との対話において、相手の肩書や権威に過剰に怯えて自分の軸を失うことは避けるべき。
- 「巍巍然」な振る舞いや実績に気後れせず、本質を語れる胆力こそが信頼を生む。
「成功の定義は“外”でなく“内”に持て」
- 収入、役職、豪華な生活など“他人がうらやむもの”を追いかけるのではなく、
自分が納得できる価値観に基づいた生き方を持つことが幸福の土台。
「現代の“古の制”を再定義せよ」
- 「古の制」とは、今で言えば“理念”や“組織の原点”といえる。
- それに忠実に生きることが、周囲の風潮や誘惑に流されないための羅針盤になる。
8. ビジネス用の心得タイトル
「権威に屈せず、信念に従え──成功の基準は自分の中にある」
この章句は、真の尊敬は地位や富にあるのではなく、自分の中の規範と誠にあるという孟子らしい気骨と倫理が光る言葉です。
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